ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

新宿 神保町

 今年になって初めの新宿の日で、1-3月期の第一回目ということになる。10分前に到着すると出席をとっている。毎回一回目には必ず職員が来てチェックしている。ところがお爺さん達は順番を作ることができない。どうしてかというと、自分のことしか頭にないからなんである。あっちから来た人はこっちから来た自分よりは先に係員のところに来ていたな、という気遣いができない。これは日本にいると当たり前のように思えるのだけれど、実はそうではない。
 例えばスーパーやお店で店員がひとりだと、日本では「次は私だ!」と主張しようとしてアピールをしながら店員にとりつく。ましてや子どもが交ざっていると店員の方も大人優先にしがちである。それは大人の方が怖いと思っているからでもある。
 しかし、某国では店員が「次は?」といったときに、周りにいる人たちが自分よりも先に来ていると思われる人に「君だよ!」という。ここを幸いと「俺だ、俺だ!」と主張するということをしない。この違いはなんだろうか。フェアネスというものに対する思いが違っているような気がする。どんなに自分を誤魔化したとしても、見る人はきっと見ているのに違いない、という信念(宗教観といういい方もできるのかも知れない)ではないだろうか。
 とても細かい話になってしまうのかも知れないけれど、例えば歩道を歩いていたとする。向かいから二人が横に並んで来たとするとちょっと停まって、彼等をやり過ごして行くか、あるいは拡がってきているのが向こうだから、あっちが一人後ろに回ればよいのだからといって無理矢理グイッと押していくか。さもなきゃ「失礼!」と声を掛けていくのか。
 国境、領海論争になると東アジアではずっと歴史的を遡ってレビューするときっと中国になんでも帰属することになっちゃうんで、そりゃ意味がないのだ、というのには思わず笑った。
 今回はこれまで出席していた人たちにも変化がみられるし、新しい出席者も何人かおられるようで、ちょっと雰囲気が変わったような気がする。この時期になると妙な咳をするお年寄りが増えて、何となく、落ち着かない。
 サンフランシスコの講和会議に出席した吉田茂は日本語で演説をした。ある人によると、この時吉田茂に日本の首相として日本語に誇りを持つべきだと吉田に日本語での演説を勧めたのは白洲次郎なんだということになっているそうだけれど、保阪正康著「吉田茂という逆説」によれば、

 国務省の日本課長だったリチャードBフィンが「マッカーサー吉田茂」で「シーボルト国務省のスタッフは、『これは良くない』と考えて原稿の大部分を書き直しにかかり、また母国語で演説した方がさらに威厳があるとも助言した。吉田や顧問はやや高圧的なこれらの助言をことごとく受け入れた」というのである。

ということだとしている。この齟齬はどこでどう起きたのかを次回確認してみたいものだと思う。
 先日、twitterデンマークに詳しい方と遭遇したところ、新宿のKDDIの本社ビルの前にデンマークに関連したあるレリーフがあるということを聞いたので、今回は新宿まで行くことでもあるので、行ってみた。すると、そこにあったのはなんとも不思議なレリーフというか、なんだか不気味なものが描かれたレリーフだというものが存在する。
 このビルは1974年に竣工したもので、当時は国際電信電話株式会社という組織であった。それはそれは良い給料を貰っている人たちが働いている会社として有名だった。1953年に電電公社から独立し、1998年にKDDとなり、2000年にKDDIとなって今に至る。
 そもそも日本が外国とはじめて海底ケーブルで結ばれた1871年に長崎〜上海と長崎〜ウラジオストックを、その後1883年に呼子〜釜山間の海底電信線も敷設したのがデンマークのグレート・ノーザン電信会社(現GNストア・ノードA/S)で、ウィッキペディアによると彼等はその後20年間海外通信の独占権を得たのだそうだ。それで、このビルができあがったときにアンデルセンレリーフデンマーク王立美術アカデミー教授で彫刻家のヤン・ブール氏が来日し、5カ月間かけて作ったのだそうだ。
 この写真は表側でその意味は左からそれぞれ、「おろか者」(A Fool)、「太陽」(The Sun)、「風車夫」(A Mill-man)、「風船」(A Balloon)、「魔女」(A Witch)を現しているのだそうだ。
 裏側にはこんな5枚のレリーフがある。こちらは左からそれぞれ「道化師」(A Clowin Dancer)、「小さな宮殿」(A Small Palace)、「プリマドンナ」(A Prima Ballerina)、「中国の宮殿」(A Chinese Palace)、「踊り子」(A Dancing Girl)。
 そういわれてみるとそんな気がしないではないのだけれど、そのひとつひとつをここに持ってきた意味というものがあるのだろうか。
 横の面にはめ込まれていた説明書きの石も撮影してきたのだけれど、余りに達筆すぎて一部読み取れない部分があった。

 この彫刻の図柄はデンマークの世界的童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805-1875)の切り絵をもとにしたものです。アンデルセンが幼年のころから大きなはさみをあやつってつくった金紙や色紙の切り紙は美術的にも詩的にも香り高くその童話にも匹敵するものと言われています。
 当社は国際通信センターの完成を記念するため彫刻を設けることを考えていたところにたまたまデンマークのグレート・ノーザン・テレグラフ・カンパニー(大北電信会社)がこれを聞き、この図柄の寄贈を申し出られました。
 アンデルセンはわが国の子供たちにも広く親しまれているので、当社もこれにちなむものを設けることは意義があると考えました。かねてから日本デンマーク協会のおすすめもあったので、ここにこの切り紙をもとにした彫刻を装飾壁とすることとしました。
 なお大北電信会社は・・・。

 最後の方はちょっと写真からでは読み取れない状況。
 ところで、このKDDIは昨年国際オペレーターという職業を全廃するという馬鹿なことをした。実は今時というのもなんだけれど、アナログなオペレーターというのはとても重宝で、かつてはテレックスだって人が繋げる地域というのが存在した。もう今はなくなってしまった国際電話のサービスにどうやって良いのかわからない人にお手伝いをしてくれるオペレーターの人が存在していたからどんな人でも電話をかけることができた。
 外国に行ってしまったわが娘におばあさんが電話しようとして、どうして良いのかわからなくてもこの人達の手を借りてかけることができた。なにしろperson to person callというものがあったのだ。指定した人が向こうに出てきたら、それを確認して、ようやく話す。その人が電話口に出られなかったら繋がないというもの。コレクトコールだって向こうがそんな奴からの電話代なんて誰が払うかと断ったら繋いでもらえない。そんなサービスはこのオペレーターがいなくなったらなくなっちゃった。皆さん、skypeを使いなさいってこと?
 新宿駅の南口方向へ歩いてきたので、この際だからと都営地下鉄新宿線に乗って神保町を目指す。かなりこの電車に乗るのも久しぶりである。途中から腹が減ったのだけれど、ここらあたりよりも神保町で喰いたいものだと我慢する。で本八幡行きに乗ったのはよいのだけれど、聞くとはなしに車内アナウンスを聞いていると「次は市ヶ谷」だといっている。都営新宿線というのは駅が少ないのか、それとも最短距離を結んでいるんだなぁ、次はもう市ヶ谷か、と思っていたらそうではない、この電車が「急行」という奴だ。わが家の方の地下鉄にはそんなものはない。神保町にはこの「急行」だと新宿からたった二つ目だ。
 なんで神保町に来たのか。古本を見たかったのと、元の天丼いもや 一丁目天丼店(今の神田天丼家)に行きたかった。それなのに、2丁目の方ばかり捜していたという間抜け。本屋も見つからず、結局丸ノ内線で銀座に出て、昨日書いた建物の写真を撮り、松坂屋の地下、天一で天丼を食べる。9人の座席に先客は3人。もう2時である。
 京橋から地下鉄に乗ろうと歩いて行くうちにアップルショップの前を通ると、妙にがらんとしている。「あれっ!すいてんなぁ・・」と入っていってMacBookAirの11”と13”をためつすがめつしていたらお兄さんがやってきて説明してくれる。すこぉしどうにかならないのかなぁと。それにしてもどうせ入手するのであれば、デスクトップのMacMiniも新しくしたいんだよなぁ。宝くじ当たらないだろうか。結局今日は11,000歩ほど歩いたのだった。