ほぼ足りてまだ欲 その先

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「99年の愛-ジャパニーズ・アメリカン」

 昨年、TBSテレビが60周年記念として放送した橋田壽賀子脚本のドラマである。私も毎晩見た。先日Los Angelesに住んでいる友人が帰国したときに、お土産に「442 日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍」のDVDを持ってきてくれてひとしきり在米日系人社会の話になり、これが話題になった。
 彼の地でもあのドラマはやっぱり話題になったという。その時に今年の正月に羅府新報にあのドラマについての投稿があったといっていたのが気になっていた。それではとネット上で羅府新報を検索してみたけれど、もちろん投稿記事がネット上で読めるわけではない。どこか日本で羅府新報が読めるところがあれば、1月の記事だとわかっているわけだから多分探せるだろうと思っていたけれどなかなか腰が上がらなかった。
 そこへ友人が記事をスキャナで読んでメールに添付して送ってくれた。本当に便利な世の中になったものだ。で、どんな指摘があったのかを早速見よう。
投稿者はワシントン州に住む竹村義明という人物である。

(1)「農園を未成年の二世名義で購入」- NO
 いくら米国生まれで米国国籍を得ている日系二世であってもカリフォルニアの成人年齢である21歳以上でなくては名義上の所有者たり得ないという指摘。ドラマの中でどの様な表現があったのかを憶えていないけれど、子どもが生まれた時にとても喜ぶシーンがあったことは事実だけれど、それをどの様に表現していただろう。
 投稿者の説明では出稼ぎ目的の男性移民が多かったので子ども(二世)のある家庭が少ない。1941年頃に成年に達していた二世は極めて少なかったとも。
(2)「戦時立ち退きの際に家/土地を取り上げられた」-NO 「立ち退きまでに農園を処分した」-NO
 上記状況であったので一世は不動産購入に際しては、自分の子どもが未成年の場合には、信用できる他人の名義を借りて「他人名義」で所有していた。その年の収穫久ラップは安く売ったり、その後の耕作者や管理人を捜すのに苦労したが、土地を処分することはなかった。また、戦後帰還したときには、元の家に戻り同じ農地で耕作することができた。
(3)「立ち退き準備期間は一週間だった」- NO
 1942年2月19日にルーズベルトによる発表があり、3月2日に西部沿岸4州の軍事地域を指定し、その地域から日系人は全員立ち退きと発表。最初の立ち退きはシアトルのベンブリッジ島の日系人で、3月22日の通告で立ち退き日は3月30日だった。大統領令からは5週間あった。シアトル市では通告が4月22日で立ち退き日は4月28日。正式通告から立ち退きまでは一週間だったけれど、大統領令からは時間があったのだという指摘だ。
(4)「強制収容所」-NO
 自由立ち退き期間があったのであって、4州以外の東へいけば良かったわけだから収容所に入ることを必ずしも強制されたわけではないのだという指摘である。relocation campといわれていたじゃないかというのだ。
 ここまで書いてから投稿者は「この『番組』が『日系人は事実を曲げてアメリカの不正を吹聴している』様に受け取られると、こちらに住むわれわれの立場は至極悪くなる。」と主張している。1988年の政府保証によって一件落着している一件をまたほじくり返して欲しくないという趣旨である。
 橋田壽賀子、TBS、日系人市民協会はこの主張に対してどう反応したのだろうか、もしくは無視したのだろうか。