ほぼ足りてまだ欲 その先

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なんにもない

 今度の原発事故が起きて見てわかったことは、電力事業業界というものは、「万が一」とか「もしかして」というような想定は全くやっていないということだった。
 至近なところでいうと、もし、何かしらの不都合が起きて放射能汚染物質が噴出したら、その噴出箇所がどんな具合になっているのかを探るためのシステムやらツールといったものが全く存在しないということにもびっくりした。あれで、米国の自走式遠隔操縦写真撮影ロボットがなかったら一体状況をどうやって把握するつもりだったのかというと、その方法は絶無だったということだ。それがわかったからといって瞬間接着剤で補修できるわけでもないから同じだとでもいうのだろうか。
 尤も、その前にどんなことをしたらどんなことが起きるのかという点についてそもそも把握し切れていなかったと思われる節がそこかしこに見える。今なんだかんだと問題になっている放射能汚染水の存在という奴にしても、あれだけ水をぶっかけたんだからその水がどこに現れてくるのかは予想がつくわけで、そんなことすら現場では予測する余裕がなくなっていたということでもある。ということもあるけれど、現物のプラントにこういう設計にして老いたらこういうことになるという読みが全くなかったということが不思議でならない。
 良くこんな程度の基本計画思想の上で、このプラント(あ、いやいや、これに限らないのであって日本に現存する54基の原子力発電炉すべてについてそうなのだ)が「絶対に安全である、従って問題が発生することもあり得ないので、その点について議論すること自体がナンセンスなんだ」なんてことをいえたものだと、その度胸に感嘆するというか、呆れ果てるのだけれど、そんなことはもう皆さん重々承知でやっているのだろうか。
 だとしたら、とんでもないドタバタ劇。この劇はこれから何年も何十年も続く。そしてその時になって働き盛りになっているはずの今現在乳幼児のみんながこれだけ放射能で汚染された影響で、労働力として決定的に不足するという時代がやってくる可能性が高い。そうなると、結婚する人たち、つまり子孫をもうけようとする人たちが激減して、日本はこれまでの予測を遙かに上回る少子化社会が生み出されることになる。
 では、こうなった背景、原因、要因というのは一体どこにあるんだろうか。いやいや、これは明白な話で、電力業界とそれが結託してきた研究者グループと、それにお墨付きを与えた霞ヶ関、そしてプラント・メーカーがもれなく付いているわけで、そうした盤石な体制を構築することができたのはなんでなんだろうか。
 冒頭に申し上げたように、現実のプラントそのものについては全く盤石ではないのに、システムとしては盤石に見える。
 例えばどこかの田舎の海辺の町を原発建設候補地と密かに眼をつけてから、建設工事を完成させるために、起こってきた、今でも起きている反対運動はどうやったらけりをつけることができるというのだろうか。そんな紛争が起きていると知った時、その地域になんのしがらみもない人はどう思ってきただろうか。あぁ、眼をつけられちゃったのか、どんなにあがいたって、きっと絡め取られちゃうに違いない。それにサンデル先生の白熱教室じゃないけれど、少数の人たちが我慢することによって非常に多くの人たちがその恩恵を得るんだとしたら、それをどう判断するんだと自分の胸に聞くんだろう。
 実はそうした人たちに「懇切丁寧に説明をし、おわかりいただけるように努力を」したと現地の電力会社は説明するけれど、それは殆ど一方的に通告したに過ぎないことでしかない。例外はひとつもなかった。一般市民からその生活を収奪するのに例外はひとつもなかった。
 そしてそれに反対する人たちは公共の利益のために受け入れるべき者を自分の利益のためだけに反対運動をして長引かせ、値をつり上げてきたと表現されるのである。
 こういうことで建設計画を打開し続けてきていたものだから、何度も何度も「完璧に安全」といっているうちにどうやら本当に「完璧に安全」だと思い込んでしまっていた、ということに過ぎなくて、その実は二の手、三の手なんて全く考えられていなかった。
 彼等はこの40年間、50年間、なにもしてこなかった、ただただその危険を顧みるという作業をなにもせずにここまで来たということになるのか。そう考えると、つくづく犯罪性が高い。
 中部電力はまだ浜岡原発を止めていない。東電の勝俣、清水を辞任して逃亡させてはならない。自衛隊員が脱走しようとしたら逮捕された。それよりも彼等は罪が深く、その責任は大きい。