ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

なんもない

 今週のお題「私のちょっとした特技」っていわれたって、多分なんにもない。特記するべき技術ってどの辺が「特記するべき」なのかがわからないからだ。これだけ散らかった机の上で平気でブログを書いたり、本を読んだりすることができるのを「特記するべき特技」だとはとても思えないからねぇ。
 昔はそれでもまわりの人たちに較べれば、ちょっとできることといったら、タイプをブラインド・タッチで打てることだったりしたんだけれど、今や若い人たちの中にはキーボードをぱたぱた、パチャパチャ打つ人なんて掃いて捨てるほどいるわけだから、話にもなんにもなりゃしない。パソコンが普及したというのはとてつもない文化を日本にもたらしたなぁとつくづく思う。なんたって、かつてはわざわざタイプ学校なんてところにいった人たちがいる位だったし、職場にはタイピストという人がいて、正式文章なんかはその人達に叩いて貰っていた。だから、テレックスだってそういう人に手書きの原稿を渡して、打って貰っていたはずだ。
 ところが(随分前にもここに書いたのだけれど)、私が40年前に就職してすぐに配属された部署では、タイプが打てるのは当たり前の職場で、着任するやいなや、毎日昼休みに銀座KUROSAWAの教則本を渡されてタイプの練習をする課題を与えられたのだ。自分が担当している顧客との間のレターやテレックスや、ミーティングのミニッツやら、確認書といった類を自分のポータブルタイプライターで原稿を打って、上司のチェックを受けていた。だから、テレックスも自分で6列の穴を穿つテープを作っては打っていた。だから、ワープロやパソコンが普及しだしたらどんどん取り入れることができた。その点ではとてもラッキーだったといって良い。しかし、それも今では別に特技でも何でもなくなった。
 英語だってそうだ。かつて職場の自己申告書に「あなたの英語能力は?」という項目があって「日常会話が交わせる程度」にチェックをしたら、上司から「君がそこにチェックを入れると、他の人がチェックする項目がなくなっちゃうから上に入れておいてくれ」といわれたことがある程度で、大したことはない。今や単語の意味を思い出せなかったり、スペリングに至ってはまったくの話、情けない状態だ。
 かつては少しは人前で唄う度胸があった唄だって、寄る年波で、よろよろの状態。
 SAJの2級をとったスキーだって、それっきりでもう15年ほど雪の上に出たことすらない。
 あ、そうだ!これはどうだろう。友だちや知り合いの結婚披露宴の司会を既に30回ちょっとやっているという経歴があるなぁ。もう正確な回数は思い出せない。今月初めに、久しぶりに50歳直前の友だちの披露宴の司会をやった。多分あれが生涯最後の披露宴司会だろう。彼から依頼された時、「これまで4敗しているけれど良い?」と縁起でもないことを確認した。彼はそれでも良いといってくれたので、久しぶりに緊張した。4敗目は知り合いの息子だったのだけれど、彼が別れ、再婚したことを全く私に教えてくれなかったのはちょっと残念だった。なんだか芸人を雇ったような扱いを受けた気がしてちょっと悲しかった。だから、友だちの時だけにすれば良かったのだね。
 それにしてもなんもない。