ほぼ足りてまだ欲 その先

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高い蕎麦

 高い蕎麦というものはその存在位置を見失っているというべきである。というのが私の主張だったのだけれど、今朝方のラジオ深夜便天野祐吉と話していた脚本家の山田太一が同じことをいっていて、これは嬉しかった。やっぱり「草笛」の蕎麦は蕎麦としての立ち位置として正しくて、並木の「藪」の蕎麦は立ち位置を見失っているというべきだろう。いくら何でもざるをひっくり返して貼り付けた様な蕎麦は人をバカにしている。「あぁたなんぞはうちの蕎麦を食べる価値はないんで、うちの蕎麦を出すとしたら、これっぱかりだ」といわれている気がする。そもそも喰いものとして出す品物としてあの量はないだろう。「蕎麦切りなんてものは小腹がすいたからというんで手繰るもんで、腹を一杯にするために食べるもんじゃない」だなんてのはそっちが決めるものじゃなくて、銭を出して喰う側が決めればいいのである。
 それと同じように、蕎麦なんてものはズラズラと入り口に列を作って食べるものじゃない。そっちが混んでいるんならあっちで喰おうかというものだ。それを客が並ぶのを自慢してるなんてのは愚の骨頂だ。ほうらみろ、そんなことしているから客が「あすこは並ばせるからいかねぇや」と、もう並んでない。食べ物屋も栄枯盛衰なのだ。(この件は尾張屋にいっている。)