ほぼ足りてまだ欲 その先

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NHK-ETV特集「アメリカから見た福島原発事故」

 白状すると最初の方は見ていなかった。途中から見出したのだけれど、最後に科学ジャーナリストの小出五郎が元東芝の格納容器設計技術者の後藤政志にインタビューしているところがとても興味深かった。
 私も経験したことでもあるけれど、設計基準を各担当者間で共通認識を持つことが必要だけれど、ある一定の条件を設定するわけだけれど、どこまで安全性を計算に入れていくのかというのは非常に重要なことである。例えば構造強度を計算する時にどれだけのダメージが加わった時に壊れても良いのかという限界点を決めておかなくてはならない。そうでないと、設計をする上できりがない。
 構造物や船舶なんぞの場合、あるいは例えばものを格納する構造物だったら、限界点を超えた力が働いた場合に崩壊して中のものがお釈迦になるぐらいでも大したダメージを第三者に及ぼすことがないから、大した問題にはならないから、適当なところにそのポイントを置けばいい。
 こんな場合に大地震が起きた時にはどうかといったら実際には他の建物が崩壊する時には、しょうがない崩壊しても良いという基準にたって考えるだろう。実際には許可基準があるんだからそれをクリアすればよい。つまり、建設省(今では国土交通省か)がその責任を負っている。確かにどんな衝撃に対しても毅然としてすくっと建って残っていたら大したものだといわれるわけだけれど、実際には必要以上に金を掛けたという評価を受けることになると考えるわけだ。
 しかし、原子力発電所の炉はそうした対象であってはならないし、そういう観点で設計されているとは思っていなかったし、そんな筈がないと説明されていたし、ひとつのシステムが壊れても必ずそれをバックアップするシステムになっていると説明をされていたと理解していた。
 しかし、現実はそうではなかったし、なにしろあのベントだって、そんな事態が起きてはならないはずだから、そのベントを設計するということは設計者としては自己矛盾を抱えていたわけだけれど、いざベントをするといった時に途中にあるバルブ2箇所のうちのひとつがなかなか開かなかったそうで、コンプレッサーを持ってきてようやく開いたのだと説明されていたが、あれがあかなかったら格納容器が爆発していたわけだ。つまり、すんでの所だったということになる。なにもalternativeな手だてはなかったのだ。つまり、「そんなことは起きるわけがないから」バックアップを考えてなかったということだ。それ位真剣に考えられていたわけではなかったということだ。
 福島第一原発では平成4年に非常用ディーゼル発電機2基がそれまであった地表から地下へ一度に移設申請がされ、原子力安全委員会はそれを認めている。当時の原子力安全委員になぜこれが許可になったのかと聞くと「M9.0という前代未聞の地震を想定していない」という説明をした。なるほど絵に描いた様に、あそこで急遽気象庁マグニチュードを引き上げた効果がここに表れている。ちょっと待って貰いたい。問題はこの規模の地震が起きるという可能性があったかなかったかではなくて、万が一大規模津波が岸壁を越えて襲った時に、あるいは驚異的な集中豪雨が襲った時に水が一気に地下に流れ込む可能性があることを前提にすべきではなかったのか。その前になにゆえ2基の発電機を全く同じ条件の設置にしたのか、という点の説明にはなっていない。彼は逃げたのだ。
 元の東電の副社長も、この点については「私は知らない」「当時の担当課長レベルでもこの発電機の移設は知らなかったのではないか」と発言した。とんでもない話で、これが営業担当の副社長の言であるならば、しょうがないのかも知れないが、これは許される発言ではない。
 とにもかくにも彼等は一様に潔くない。それではなんのために高給を得ていたというのか。それではやらずぶったくりではないか。責任の対価として高給が支払われても社会的には認められるのではないのか。
 霞ヶ関の代々のお歴々もカミングアウトするべきだし、代々の通産の原子力関連担当者は担当期間、担当分野を公表されるべきだ。