ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

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 いつもは2週間に一回の新宿での保阪正康の話が、8月は一度だけで、出席者がいつもに較べたら少ないのはどうしたことだろうか。そういえば私も来月は一度お休みしてしまうことになろうか。
 保阪は全共闘世代が如何に理にかなわない対権力闘争をしたのかという点で「大嫌いだ」と明言する。そもそもヘルメットを被りそこに所属するセクト名を大書して対敵で協力し合うことがなく、タオルで顔を隠す、透明性に身を委ねて闘うのは卑怯であるとしている。彼がなにゆえ私の世代をそう決めつけるのか説明してくれたのだけれど、その比喩が良くわからないので、最後の質問の時間に手を挙げようかと思った。しかし、「今日は一時間しかねていない」という話だったので、質問は次回に、ということになった。ぜひ、質問をしよう。
 今日の話は昭和39年-48年における「8月15日」だった。この時期は経済の高度成長期に重なり、佐藤栄作内閣に繋がり、そして昭和11年-20年のあの戦争の時期をなくしては語ることのできない時期だった。
 いつものようにBook 1stに寄る。日経ビジネスアソシアの9.15号にこれまでメールではやりとりがあった方が掲載されているとお聴きしたので立ち読みをする。そうだという話は他の方からもお伺いしていたのだけれど、とてつもない実績をお持ちの方だということが判明して、恐れ入ってしまう。
 店内の端末で検索してみると中公文庫で保阪の新刊が見つかる。1990に出版されたものの文庫本である。

もう一冊は2003年に出版されたものの文庫本である。

で、文庫新刊の棚を見回しているとこんなものが見つかった。帯には「NHKラジオ深夜便で話題!」と書いてある。確かに興味をそそられる。誰か、本牧の接収米軍住宅について書く人はいないものだろうか。この著者の名前はどこかで見たことがあるなぁと思っていたら、なんとtwitterで既にフォローしている。

ワシントンハイツ―GHQが東京に刻んだ戦後 (新潮文庫)

ワシントンハイツ―GHQが東京に刻んだ戦後 (新潮文庫)


 新宿から丸ノ内線に乗って一路淡路町を目指す。1999-2000年に某大学に一年間通った時の同級生が神田司町で始めた「あぶら麺」のお店に顔を出して、この「あぶら麺」なるものを初めて食す。その某大学があったあたりには、その頃もう既に「あぶら麺」というものが流行っていて、みんなが話題にしていたのは知っているけれど、当時はそれどころではなくて、授業についていくのに必死だった。そうか、あぶら麺というのはこういうもののことだったのか。若い人たちだったら、ガッツリ食べたくなるのが良くわかる。
 しかし、彼がこういう食べ物の店をやろうと思ったきっかけというのは一体なんだったんだろう。