今しきりに除染、除染といっている。除洗したら暮らすことができるみたいに。まるで雪かきのことのように。家を丸ごと洗ったらもう大丈夫なのか?その洗った水が家の敷地に沁みていく。すると周りの土を今度は削っていくのか。すると樹木も草花もみんな洗うのか。そしたら流れた放射能はやっぱり土につく。もうその草花ごと削るしかない。道路はどうするのか。法面はどうするのか。杉林は一本一本ホースで水で洗うのか。その下にたまった汚染物質はどうするのか。
いくら除洗したってそのあとに再臨界でも起きたらどうするのか。逃げ遅れたらどうするのか。それでも、除洗したら暮らせるとみんな本気で思っているのか。
なんで政府も自治体も、金輪際戻ってくることができないことを認めないのだろうか。「死の街」であることはどんなに説明をしても、あるいはしないように箝口令を敷いたとしても、その事実は変わらない。いくら鉢呂を追放したって事実は事実として認めないと二重災害に苦しむ、しかもこの場合、その苦しみは並大抵のことではない、そんな人たちが確実に発生する。