ほぼ足りてまだ欲 その先

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同族経営

 もちろん巧いこといっている同族経営企業はそれこそたくさんあって、祖先が興した企業を臥薪嘗胆がんばって受け取り、拡大したり、キチンとしたポリシーを打ち出したりしている素晴らしい企業はいくらでもある。
 しかし、超有名企業のいくつもが同族経営の後継者の放漫で知らないうちになくなってきている。つい最近の大手ティッシュ・ペーパー・メーカー(何も隠すことはない、カジノ狂いの坊ちゃんで超有名になってしまった大王製紙のことだよ)の話を聴いていて過去のそんな事例をいくつも思いだした。継続していくというのはやっぱり創業時のパッションを継続する、ということでもあるし、創業当時とは時代が違ってきていくことは明白で、ただただ継続していけばよいということにはならないのだから、ひとりの人間のタレントに負うところが大きいということなんだろう。それを認識することができるのかできないのかは個人の力量に大いに関係がある。ある種のタレントというものと人間性とはどのように絡み合うのか、不思議な気がしないではない。
 そんなところに今朝の文化放送の「ソコトコ」を聴いていたら、「バスクリン」の話になって、出てきた人が「株式会社バスクリン」といった。オイオイ、ちょっと待ってくれ、あれは中将湯から繋がっているはずで、それは「津村順天堂」だったのじゃなかったっけ?と思って調べてみたら、そもそも1988年に「株式会社ツムラ」になっている。それがあの時のことなのだろうか。分社して「ツムラ ライフサイエンス株式会社」になったのが2006年で、MEBO(会社の経営陣と従業員が一緒になって対象企業の株式を買い取ってその企業の経営権を掌握するってやつ)でなんかかんかありで、昨年「株式会社バスクリン」となったんだというのだ。なるほど、あれからいろいろあったんだなぁと。
 もうひとつ私が関心を持っていたのは今の株式会社東ハト、かつての東鳩製菓である。キャラメルコーンで一世を風靡した。地道なお菓子会社だった。かつての杉並の旧社屋にいったことがあるけれど、木造の地味な事務所棟だったような記憶だ。私が社会に出たばかりに勤務していた会社の木造の事務所を思い出させるような佇まいで、良く派手にならないで地道で偉いなぁと思っていた。そのうちにここの会社もカジノ狂い製紙会社じゃないけれどゴルフに手を出して、これまた女子ゴルフトーナメントを主催したり、ゴルフ場を経営して派手になっていった。と思っているうちに人事や所得隠しでごたごたするうちに会社更生法申請と相成ってしまって、今は山崎製パンの子会社になっている。
 もうひとつは専門商社なんだけれど、ご本人が結構近いところにおられたものだから、思いっきり書きにくい。伝統のある繊維系商社だったけれど、今はとっくに雲散霧消してしまった。周りの人も今は殆ど話題にしない、というよりも触りたくなさそうだ。