ほぼ足りてまだ欲 その先

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新聞

昨日の讀賣新聞の社説。(→こちら

(前半略)
政府は全国の9原発22基について、耐震性などを改めて点検する方針を示した。だが、ストレステストに加えて安全性のハードルを上げる姿勢には疑問符がつく。
 無論、安全性の確認は大切だが、稼働中でも点検は可能だろう。政府が再稼働の判断を先送りする口実としてはならない。
 政府は原発の安全性評価を着実に進めると同時に、再稼働に明確な道筋をつけるべきだ。(2011年11月3日01時52分 読売新聞)

 そりゃもちろん、正力松太郎原発導入に一役も二役もかった讀賣新聞だからこそ、その伝統を引き継いで、どんなことがあっても良いから、将来にどんな禍根を残す結果になっても良いから、この今の時点で安くて儲かる発電システムを動かせというキャンペーンを張るのは理解できないことはないけれど、人類のみならず地球上の全生物に対する挑戦だといっても良い、この暴力的な主張は明らかに間違っている。これほど明白なことはない。
 今でも讀賣新聞という世の中のルールを守ることに否定的な集団が「社会の公器」を名乗ることにはっきりと「NO」をつきつけたい。
 この社説の論調を見ると、彼等は本当に原発の実情を知らずに、考えていることがわかる。稼働中にも点検は可能だろうという、あたかも風呂屋のボイラーだってそんなことができかねるという、事実を全く理解していない視点で物事を語っているのだ。
 私は先月からそれまで38年間購読してきた朝日新聞をやめて東京新聞に切り替えた。切り替えてみると一面トップに来る記事に頷けるものが俄然多いことに気がついた。
 讀賣新聞の読者の皆様は、何が理由でこの新聞を取り続けているのだろうか。讀賣巨人軍のファンだからだろうか。球界全体の反映を考えることができずに、自チームのことだけしか考えることのできない「球界のリーダー」にわが国のマスコミのリーダーが務まるわけがない。
 多分讀賣新聞をこよなく愛する諸兄は「天下の公器を野球チームと一緒に論じるな」と批判するだろうけれど、このグループの場合はもう何もかも一緒くたなのだ。