ほぼ足りてまだ欲 その先

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松風

 今頃そんな話をしてなんになるのか判らないけれど、春先に良く風が吹く。春一番なんていわれている。しかし、私が子どもの頃3年ほど暮らした清水の三保半島では真冬の西風がきつい。真っ青に晴れた日に三保の折戸あたりの外海に出ると駿河湾の向こうにまるで絵に描いたような富士山が見える。
 そんな時、砂浜に沿って植えられてある防風林のような松林が「ビュー、ビュー」と絶えることのない音を立てている。もうあの頃から50年ほど経つわけだけれど、あの音が時としてひょいと耳に蘇ってくる。そうするとそれは聴覚への蘇りだけではなくて、嗅覚にもあの頃のものが蘇って来る。当時の三保半島で非常に特徴的な匂いといったら名産の蜜柑の皮を干している匂いだった。(あ、これは前にも書いたなぁ・・・)。甘ったるいながら酸っぱそうななんとも田舎的な匂いなんだけれど、松林を風が通り抜ける音とともに私の鼻先に蘇る。

 あの頃の私は、横浜からぽんと転校したものだから習慣も、言葉も周りの子どもとは随分違っていて今から考えると、外国へ移住したのと大して変わらないといったら大げさかも知れないけれど、それに近いカルチャー・ギャップがあったと思う。瞬間的には溶け込めなくて随分焦った記憶がないわけじゃない。
 その頃だったのか、その後だったのか、良く思い出せないけれど、近所の雑貨屋で、細い先のしなるような竹を一本買い、先にテグスを結びつけた、近所のおじさんに貰った潰しの重りを付け、先に釣り針を結びつけた実に簡単な竿を創り上げて、内海に魚釣りに出掛けた。岩にへばりついている牡蛎を石でたたき割って餌にする。なっかなかそんな餌に食いつくドジな奴は現れないのだけれど、薄暗くなるまで商船学校の桟橋でそうして遊んでいた。それもたったひとりで、である。
 今の自分の片鱗がそうさせたのかも知れない。それが面白かったのか、それとも馴染めない無聊をそれで慰めていたのかも知れない。こうして考えると結構ひとりで遊ぶのが好きだったのだろうか。そのくせ、通信簿には「落ち着きがない、私語が多い」と書かれていたのだから、今の大学生の授業態度に苦言を呈する資格はないといった方がよろしいかも知れない。