横浜駅西口STORY 横濱オーセンティック・パラダイス―市民が捉えた半世紀 横浜CIAL50周年記念写真集
- 作者: 横浜ステーションビル,神奈川新聞社,神奈川新聞=
- 出版社/メーカー: 神奈川新聞社
- 発売日: 2011/04
- メディア: 単行本
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帰りに横浜駅の西口にやってきてみると、駅ビルと隣の東急ホテルは両方ともまだ手つかずではあるけれど、閉館していて外の塀に昔の横浜駅西口の写真が貼ってあった。いやいや、懐かしいのだ。西口というのは全く舗装なんてしていない、ただの原っぱだった。
なにしろ相模鉄道なるものがそもそも川の砂利を運ぶためにできた鉄道で、西口はその集積地だったんだと聞いたことがある。まだ自分が幼い頃に西口は時間制限のある改札口でしかなかった。なにしろそっち方面に出ていく用事のある人はそんなにいなかったのである。
横浜駅そのものは東口が駅舎だったのだ。ところが私達にとっては東口に廻るというのはとっても不便なことだった。東口はとても立派な駅舎が建っていたのだけれど、なにしろあっち側もすぐに海だったし、三菱重工が只っぴろい敷地を真っ暗に覗かせていて、子ども心に不気味だった。
一番乗り降りした駅は伊勢佐木町という繁華街を抱えている桜木町だったわけで、横浜駅で乗り降りするのは東海道線、横須賀線に乗る時だけだったわけだ。
そうこうするうちに西口を利用する人が増えてきて、高島屋ストアが開店し、裏にローラースケート場ができるに及んで、ようやく横浜駅西口の発展の口火が切られた、というわけだ。高島屋はその後本格的なデパートになり、横に相鉄名店街ができるに及んでぐいぐいと発展していったというわけだ。
今じゃ、平日の昼間であってもぐいぐいと(高齢者が中心だけれど)人が歩き回っていて、賑やかこの上ない。しかし、その駅ビルと東急ホテルのこともあってか、随分草臥れた街の雰囲気が漂う。