ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

国立演芸場

 知り合いのまた知り合いから国立演芸場の切符が廻ってきて、降りしきる雨の中、久しぶりに国立演芸場にいった。ひょっとすると地震の後はこれが初めてだったかも知れない。団体貸し切りだと聞いていたので、開場と同時にいっぱいになっちゃうんだろうと、開場直後に到着。ところが7割くらいの入り。やっぱりこの雨と、夢丸がトリという派手さのない顔ぶれということだろうか。
 やっぱりナイツはテレビで売れているだけに会場は笑おう笑おうと準備万端だ。いうことはない。彼等は昭和53年の生まれで、うちの子どもと同じ歳だと。
 古今亭寿輔はいかにも芸術協会。三笑亭夢花は「時そば」だった。深い出なんだからもうちょっと頑張って挑戦して欲しいなぁ。
 夢丸の「いろがたき」という噺はこれまで聴いたことのないいわゆる人情噺。うちに帰って調べてみると、「新江戸噺」ということになっていて夢丸が脚本を公募してきたうちの一本なんだそうだ。彼は5枚組のCDを「夢丸新江戸噺」としてだしている。全く知らなかった。
 夢丸の噺を私はどうしても好きになれないことが今日も確かめられてしまった結果となった。彼の喋り口調がどうしても私には納得ができない。それはなぜかというと、江戸言葉の喋り方がとてもわざと臭い、ということにある。まるで私がそうしようとして喋っているように聞こえる。ひとつ例を挙げると「〜ってぇと」なのだ。すなわち「若い方がお集まりになりますってぇぇと」の「てぇぇと」だ。これが強すぎる。まるで、関西の人が関東弁の真似をして”そんなこと「いっちゃって」さぁ”の「いっちゃって」が強すぎるみたいなものなんである。つまりわざと臭い。それが気になるのもそうなんだけれど、この噺が廓話だというのに随分とこの花魁(とはいっても太夫に届かない)と若侍がやたらと清い関係なのが腑に落ちない。小石川の豪農がいやみったいのは判るけれど、この三人が一緒に何回も座を一緒にすることで仲間意識になってくるという設定が、ストンと落ちない。そんな状態で一時間近い噺は悩む時間だった。
 どうも夢丸は昨年大病を病んだ様子だ。66歳。
 チャーリー・カンパニーがいつもの魚屋をやるのかと思ったら、「尾津家」だったのだけれど、これは初めて見たからとても面白かった。
 今日の雨は風を伴ってもの凄く、まるで台風のよう。地下を選んで歩いてきたつもりだったのに、家に着いたらびしょびしょで、シャワーを浴びて寝る。