ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

1911年 明治44年

 facebookで書いていて自分で気がついた。なんでも昨年はあのVANジャケットの創業者石津謙介が生きていたら百歳になった年、つまり生誕百周年ということだったのだそうだ。(今年はクリムトの生誕150周年だというから彼らはたったの50年しかずれていないってことだ。これに気がつくとなんだか急に親近感が増すな、クリムトも。)
 で、ひょいと気がついたのだけれど、実は死んだうちの親父も同年生まれで生きていたら昨年100歳だったというわけだ。実家にあったアルバム(つい最近処分したかも知れないけれど)で親父の旧制高校時代の写真を見ると、弊衣破帽、朴歯の下駄にマントをからげて、実にバンカラそのもので、その気で玉なんぞを撞いて見せていたりする。果たしてあの石津謙介はどうだったのだろうか。彼の評伝を書いた人がいるんだそうで、その中にそんな記述があるのだろうか。彼は確か明治大学の出身だと記憶しているが、どうせそんな具合だったのかも知れないけれど、さすがに大学まで来てそんな風体であったのだろうか。それとも洒落たスタイルだったのだろうか。彼のスタイルは終戦後に培われたのだろうか。興味がない訳じゃない。なにしろあの二人が同世代だったと知ったら余計だ。
 ここにもう一人同年生まれがいる。「暮らしの手帖」の花森安治だ。私が覚えている花森安治というのはもうおっさんだったのに、なんでもおかっぱ頭で、スカートをはいていたという話だった。その上あの雑誌だ。もう家庭のことばかりだった。作り直して造るなんとかみたいな記事、そして電化製品の各社ごとの比較記事だった。しかも名前に「花」の字が入っている。てっきり女性だとばかり思っていたのに、スカートを履いているおじさんである。変だよ。ところがオフクロが取っていた「暮らしの手帖」は歯に衣着せぬというか、ひと頃の週刊金曜日のようで、単刀直入な商品比較を掲載していて、面白かった。
 先日、NHKラジオ深夜便に元「暮らしの手帖」編集者だったという北村正之という人が出てきて話すには、花森は相当にきつい編集者だったそうで、戦々恐々として仕事をしていたんだろうなぁと思わせる話だった。まぁ、あれだけ徹底したポリシーを振り回すにはそれ位の決意を自分の胸に秘めてやらなきゃできなかったのかも知れない。花森は1978年に66歳で他界している。だから随分歳上だと思っていたきらいはある。だから親父や石津謙介と同じ歳生まれと知って意外だった。
 花森とうちの親父は同じ学校に行っていたわけだから、すれ違っていたのかも知れないけれど、なんとまぁ全く違う人生と感性だったものだと、当たり前のことながら興味津々だ。