ほぼ足りてまだ欲 その先

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新宿

 今朝はこの冬一番の寒気が押し寄せるといっていただけあって、底冷えがする寒さだった。同居している娘がどうやらインフルエンザのようだ。薬が効いている間だけ熱が下がって楽になるらしいけれど、薬が切れると途端に胃が痛いだとか、熱があるとか、気持ち悪いとかいっている。そのくせ、楽な時に風呂を浴びてしまったりしているらしくて、それじゃぁなぁという気にさせる。この私よりも不規則な生活を送っているし、栄養的にもかなり偏っているから免疫力が低下しているであろうことは容易に想像できる。それをいっても自分では律することができない。そうかといってどんなことをいっても従わないから免疫力が高まらない。
 今日の集まりの会場の中にもクシャミや咳がいつもより聞こえるし、何よりも出席者の絶対数が減っている。毎年この時期になると減るのだろうか。
 保阪正康が先日のNHKの「原発事故への道程」にほぼ重なるレクチャーをした。つまり島村研究会のテープで明らかになった内容である。
 ドイツの研究者、天才といわれたウェルナー・ハイゼンベルクの名前を私は初めて知った。彼の戦中に於ける原子爆弾開発へのスタンスと理研の仁科研究室のスタンスには共通項があるのだろうか。
 多くの原子物理学者は広島での原爆の攻撃を知って直ちにその新兵器のなんたるかを察し、ある意味では理論の実証がされたことによる興奮を覚えたとしながらも、長崎への投下については大変に驚き冷たいものがこみ上げることを覚えたと印象を語っているのだそうだ。
 正力松太郎原発の基礎研究に時間をかける必要はない、アメリカから買ってくれば良いのだとして研究者達からは大いに顰蹙を買っていたという点も、くだんのテレビ番組と相通じるところがある。
 二つの原爆の投下を受けた国の研究者として戦後の原子物理学研究は非常にやりにくかったそうで、むしろ戦時中は「錦の御旗」があったから研究の自由度は格段に高かったというのも皮肉なものであるが、理解できる話だ。

 終わってBook 1stに入った途端、周囲の人たちのポケットから一斉に携帯が「サワサワサワサワ・・・」と鳴りだした!あ、あれだ!来るぞ、地震が!直ぐさま店から飛びだして、地下通路にいった・・・それで良かったのか、どうだったのかわからない。結局それほどの揺れではなかったらしいけれど、外にいたら、全くわからなかったのだ。それにしてもあの音はいつ聞いても嫌なものだが、街を歩く人たちは、全くなんということもないという顔つきで普通に歩いていることが信じられない。彼らはきっと「放射能汚染物が待っています、直ぐさま建物の中に入って下さい!」と放送しても知らん顔をしていることだろう。