ほぼ足りてまだ欲 その先

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残念ながら

 この一年間を振り返ると、残念ながらわが国はとてもいい加減に構成され、とてもいい加減に運営されているんだなぁという感慨に耽るしかないということになりそうだ。
 福島第一原子力発電所で電源が総べて落ちてしまい、次々に炉が爆発して核燃料むき出し状態になっているというのに、「もう大丈夫だ」と時の権力者が宣言し、それをいわゆる報道機関の殆どが肯定報道するのはあまりにも以上だし、物事の本質を度外視した動きでしかない。まさかそんなことが起こるはずがないと思い込んでいても、それは起こる。それはなぜ起こるかといったら、そうしておいた方が大事にならずに金の流れが途絶えることがないだろうという判断基準で判断されているからだ。
 で、私達はどうそれを判断しているのかというと、世の中の大半がそれを是としている(ように見える)からであって、自分の眼で判断するわけに行かないから、でもある。
 しかし、巧妙なのは、全く見せもしないし、感じさせもしないという旧ソ連チェルノブイリに於けるやり方とは違って、福一の現場にカメラを連れて行って撮影させてもいるから、全く情報を遮断しているようには見えない。しかし、今でも放射能拡散は停まっているわけでもないし、危険が総べて取り去られているわけでは全くない。「線量が高い!」と報道機関が告げていても、そうはいっても入っていっても大丈夫なんだものなぁと見ることができてしまう。
 東京電力は一切自分の非は認めていないどころか、午前中の定例記者会見はもう終わりにするといっている。政府が終息を宣言したんだからもう大丈夫だと見せているというわけだ。それでも多くの報道機関が「何をいっているんだ!まだ終わっちゃいないし、いつ何が起きるかわからないじゃないか!4号炉の1500本以上の使用済み核燃料が暴露にされたら全土が終わっちゃうんだぞ!」と主張し、その行動を報道すれば、彼らだって、えらそうに木で鼻を括った対応で追われるはずがない。
 放射能で汚染された水を海中に放流するという発表をしたあの夜中の記者会見でも彼らは日隅、木野といったフリー・ジャーナリストが鋭く追求する中で木で鼻を括る慇懃無礼で終始した。あの会見を見たら、東京電力を許す気にはとてもならないはずだ。
 それを漫然と擁護し、尚かつこの苦境にある日本という国の国民を前に増税、米国への経済的隷属によって国の根幹たる一次産業をこのチャンスに潰してしまおうとする動きを取る政府には呆れ果ててものがいえない。しかし、何もいわなければ、彼らは確実に隣の韓国のように大企業のために国の根幹を米国に売り渡すことになる。
 それでも、報道機関は国の代弁機関に甘んじている。彼らはこの国の国民が疲弊したら読者たり得なくなることに気がついているんだろうか。もう既に終焉の道を辿っていることに気がついているのだろうか。
 先日「ブラタモリ」でNHKは都庁のヘリポートに上がって見せ、そこにヘリコプターを飛ばせてヘリポートがくっきりと浮かび上がるところを見せた。たかだかバラエティの番組でヘリまで動員していざという時にはと説明して見せた。今いわれている直下型地震が起きた時に、あのヘリポートはあのまま無事にライティングしてヘリが発着できるというのだろうか。その検証でもして見せたらよいのだ。
 残念ながら私達はどさくさに紛れて儲けることができる連中によいようにやられてしまっているのだ。しかし、それを指摘し続ける報道機関はもう数少ない。
 私達の国自身も、もう既に下り坂を下り始めている。くだらない見栄をはったり、面子に溺れて国民を泥舟に引きずり込む連中を見極める力をつけてくれる報道機関は一体どれなのかを検証して行かなくてはならない。