ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

どこから曲がった?

 昨日ふと思い出した。私の高校は都立校だけれど、当時としては学区内では下半分くらいに評価されていた。都立校の古いところはおおむね旧制中学、あるいは高等女学校から新制化された高校だったけれど、私の高校のように旧高等女学校の歴史を持つ高校は当時はまだ女子生徒の方が多くいた。私たちの高校もご多分に漏れず一学年に女子が300名、男子は200名という在籍人数だった。何でわざわざこんなことになっていたのか、よく理解できない。
 入学時の男子と来たらその9割はほかの学校を第一志望にして受験したものの点数が足りないにもかかわらず、学区全体の定員の中に残っているから第二志望校の選定によっては都立に行かれる、という制度によって入学してきたものたちだったから、実にやる気がないのだった。今から考えると誰も彼も良い奴ばっかりで素直すぎたかもしれないくらいだ。
 一年生の時の私は前にも書いたけれど、英語部に入っていた。女子ばかりで、男子はたぶん私一人じゃなかったかと思う。その英語部がある土曜日の午後に学校に他校の英語部を招いて交歓会をやった。たぶん上級生の発想だったのだろう。その時にやってきた学区の中では偏差値で上から二番目の学校の男子生徒が今ドイツ語に取り組んでいて大学受験はドイツ語でやろうと思っているという発言をした。たとえば獨協の生徒たちがドイツ語で受験するというのは後で知ったけれど、都立の高校生がドイツ語で受験するだなんて聴いたことがなかった。だからとても驚いた。当時はまだ戦前のいわゆる旧制高校生の感覚が多少読み物なんかで残っていたのかもしれないけれど、ドイツ語に対する感覚は今とは違っていたのではないだろうか。なんといって表現して良いのかわからないけれど、単純な高校生に成り立ての子どもがとりつかれそうな、とでもいうのかなぁ。
 で、突然かぶれた私は学校からの帰り道、駅ビルの中にできた本屋で「ドイツ語入門」のような本を買ってしまう。その頃から今に続く性癖は書物を入手するとマスターした気持ちになるという奴だ。
 その後すぐにエレキに目覚めてしまって、そっちに走り始めることになる。何がきっかけで「ドイツ語への道」から「エレキ不良への道」に走ってしまうことになったのだろうか。
 明らかにThe Venturesが私をこの道に誘い込んだといって良いのだろうけれど、それに拍車をかけたのはThe Beatlesであることは間違いがない。幼なじみの兄弟が私に先駆けてビートルズの一枚目を入手したと電話をかけてきて、私はわざわざ彼らの家に当時うちにあったテープレコーダーを運び込んで(もちろん電車に乗っていった)泊まりでテープにダビングした。だから、私の家にはあの「Meet The Beatles」はなかった。
 英語部は二年生になったときに辞めてしまった。女子の中にいて貴重な男子の役割を演じている場合ではなかったのだ。それでも授業の始まる一時間前に学校に行ってハワイ生まれの英語の先生のディクテイションの補習を受けていた記憶があるからまだ少しそっちへの気力は残っていたと見える。
 それが決定的になくなっちまったのは三年になって下級生と一緒になって落語研究会を作ってからのことだったろうか。しかし、それでも週に二回の英語塾には通っていたのだ。一体どっちなんだよ。エレキ不良だったのか、それとも英語をマスターしようとする高校生だったか。
 何事も中途半端な高校生だったんだなぁ。