ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

官の専門性

 多くの場合、施設を建設し、それを動かして運営するという一連の作業の中で、それを規制し、その業界を指導する行政機関がどこよりも高い専門性を持っているのでなくてはそれを可能にすることができないのだろうという想像はしがちだけれど、現実は大きく食い違っていることを認識する必要がある。
 たとえばこの国の塵芥処理は多くは埋め立てで成り立つけれど、その用地選定も専門的な知識が必要となる。その地域の地下水脈はどうなっているのか、埋め立てることでしみ出す汚水はどのように環境の中から隔離して処分できるのか、周辺住民への影響はどうかというアセスメントをしなくてはならない。ところが現実にはその地域の自治体にはそんなことに関する知識はない。専門家を常雇いできる資金はないもの。
 で、ほとんどを一次処理しているのは焼却工場だけれど(この工場というのは何者も生産していないので、違和感があるなぁ。処理場かなぁ)、これだってほぼ同じ状況にある。一番詳しい専門性を有しているのは民間のエンジニアリング企業だ。しかし、彼らに任せておいたらも受けるということが一番の究極的目的だから何をするかわからない。行政機関が専門性を持っているのかといったらそんなことはあり得ない。じゃ、その民間企業を規制するのは誰かといったら有識者、学識経験者という人たちだ。
 するとどんなことが起きるのかといったら、その学識経験者が実質的な決定権を持つことになってしまう。そういう人たちを我が方の味方につけようと発想するのは民間企業にとっては至極当たり前なことで、彼らにどんどん便宜供与をすることになる。研究費を提供しようとする企業は引きも切らない。こうなるとどこまでが研究費で、どこからが手目絵で勝手に使って良い金なのか区別がつかなくなるのは当然だ。
 どんな構造のどんな設備を有した施設を建設する必要があるのか、民間はどんどん自分が得意とする技術を採用してもらうように仕向けて受注に有利なように持って行こうとする。判断する方もそこは人間だから「阿」でもって「吽」だったりするのだ。こうした構造はいつまで経っても変わらない。変わらない方がおいしい目を見る人が多いからだ。
 「おいしい」システムはほとんど変えられることがない。
 もちろん、自明のように原子力発電システムも全くこの通りの構造になっている。これだけ大規模で、致命的な事件が目の前に転がっていて、本来的ならば広い範囲を立ち入り禁止にして、汚染源からの汚染拡散を封じ込めることに尽力を尽くさなくてはならない状況を目の前にしながらも、それがどこ吹く風という様子で大飯原発の3-4号炉を再稼働させようとする論理には納得できる論理は一つもない。それでも彼らがこれを強行しようとしている背景は「おいしい」からに相違ない。