ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

オペラ「アルバ公爵」

ジョニゼッティの未完のオペラ「アルバ公爵」をその舞台となったアントワープオペラ座でみる。今年のこの公演の初日だったらしい。ここのオペラ座は客席がずいぶんコンパクトでたてに長いが一番上の天井桟敷はやけに上まである。始まる直前で客席はほぼ9割くらいの埋まり方だろうか。もちろん私の席はずいぶん上で上がっていくのに息が切れるのだけれど、それでも下手(しもて)真ん中くらいで、舞台から直線距離にしたら多分30mほどだろうか。だから十分に音は楽しめるのだけれど、舞台は上手(かみて)三分のニくらいしか見えない。オーケストラピットにいたっては突き出した覆いがあったりするので、第一ヴァイオリンの一列分とビオラの一部が見えるだけで多分22-23人。その中に男性はわずかに二人というわけで圧倒的に女性が占めている。舞台の脇に舞台に向かってモニターが見えていて、一体なんだろうと思ったら舞台上の演者たちに指揮者が見える様に指揮者のアップが写っている。
一幕目の幕が上がるや否や度肝を抜かれたのは舞台上に多分10人近くの男性が全身裸体だったり、上半身にわずかにシャツの様なものをまとっているだけの格好で、ひっくりかえっているのである。薄暗い時には人形でも置いてあるのか、あるいは絵が描かれているのかと思ったのだけれど、ライトが明るくなってみると、まごうことなき男性だった。スペイン軍の圧政に犠牲になったアントワープ市民たち、ということだ。しかし、「全くの裸体」なんである。そんな必然性がなんでこの舞台にあるのかがわからない。オランダでもミッフィーの作者、Dick Brunaの記念館のある建物の別会場でそんなモダンアート展があったけれど、この辺りの文化ではこの辺は別になんということはないのだろうか。
舞台設定は現代ということになっているらしい。市民が抵抗のために取り出す武器は自動小銃だったりするのである。いつまでも中世の舞台にこだわらなくてはならないとはいわない。しかし、裸はどうだ?それがリアリティーだというのであれば、あそこもここもリアリティーにこだわれと言いたい。
アルバ公爵役の衣装はというと、全身に入れ墨で耳にはあたかもニューヨークの黒人ギャングの様にずらずらっとピアスが並んでいる。胸をはだけると聖母マリアの入れ墨なのだ。それぞれの演者の力は一流だとは思うけれど、この演出は私にはいただけない。歳をとったということかもしれないけれどね。

追記:このオペラに対する評論らしきものを発見。難しくてようわからん。
→ http://www.nytimes.com/2012/05/16/arts/16iht-loomis16.html?pagewanted=1&_r=1