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大飯原発

大飯3号起動 原発の国民理解ほど遠く
 「安全」と「危険」。両極の論理に支配されながら、関西電力大飯原発3号機が起動した。同出力の4号機も17日起動し24日には2原発によるフル稼働となる見込みだ。昨年3月11日の東京電力福島第一原発事故後「原発モラトリアム」に向かった国内原発。50基が全停止後、約2カ月ぶりの再稼働である。
 夏場の電力不足に備え、本来なら歓迎されて当然だが、その消費地関西からは「安全が確保されていない」と反発が強く、脱原発圧力が高まるばかりだ。原発周辺は抗議行動が充満する異常な事態が現出している。
 自立的な安全確認と特別な監視体制に基づき、再稼働に同意した福井県、地元には強い逆風が吹き荒れる。原子力行政に一元的責任のある国、民主党政権は「脱原発依存」に向けたシナリオを描き始めた。同意の際に西川知事が首相に強く求めた「原発への国民理解」は、寄る辺を失っているようにさえ見える。
 福島原発事故はわが国の原子力政策を根底から覆した。「原発は安全」の根拠が崩れ、半世紀にわたり「国策民営」を支えてきた政官財学スクラムは一からの出直しに直面したはずだ。
 しかし、現実はどうか。
 政府や政権党内にも「依存」「脱依存」の二項対立が存在し、無責任発言が立地自治体を混乱させ続ける。東電は事故調査最終報告書で、原因を「想定外の津波」と強調し自己保身に走る。事故収束も損害賠償もままならず、放射能汚染禍で「難民」化する住民らの怒りを買っている。他電力会社も事業が硬直化している。原子力委員会原子力政策大綱の改定作業で、電力など推進側だけを集めて原案情報を漏らした問題が発覚、急ぐべき作業を中断した。
 巣くう癒着と隠蔽(いんぺい)体質。事故から1年4カ月、何が変わったのか。電力供給地と消費地に対立の構造さえ生じさせた。原子力行政が立ち行かず、原発停止で地域経済が窮迫する県や地元は、新たな「人災」に直面している。原子力規制組織の発足が大幅に遅れ、全国原発の再稼働スケジュールは全く見えてこない。原子力防災指針も示されない。こうした中での大飯原発起動は孤軍状況を呈している。
 必要なのは明確でぶれない原子力政策だ。政府はエネルギー・環境会議で2030年までの中長期的エネルギー政策について、原発比率を0%、15%、20~25%とする三つのシナリオを提示した。国民的議論を経て8月中に電源構成の政策をまとめるという。選択肢により高速増殖炉もんじゅや使用済み核燃料の処理法など核燃料サイクルの位置づけが大きく変わる。
 政府のやり方は一見民主的だが、安全技術基盤の再構築や国際競争戦略に加え、中間貯蔵施設、核廃棄物最終処分場、廃炉技術の確定など「負の遺産」処理工程を明示せず、肝心な再生可能エネルギー確保の道筋も不透明だ。買い取り制度をスタートさせただけでは生活と産業を支える電力の安定供給やコスト削減につながらない。
 細野豪志原発事故担当相が既に会見で「原発比率は15%がベース」と公言した。これまでの政府対応をみれば、政策の国民参加が都合のいい「ガス抜き」に利用されないか疑念がある。
 真の変革には、将来目標をしっかり定め、実現への方策を具体的に固めて突き進む「バックキャスティング」の発想が不可欠である。政治の理想論だけでは何も前進しない。取り残されるのは立地自治体なのだ。(福井新聞 福井のニュース 論説 2012年7月2日午前7時26分)

 地元福井の新聞がこういう論説を表に掲げているのだとはつゆ知らなかった。全国紙と呼ばれる朝・毎・読に比べたら実に的確に、偏向することのないスタンスで書かれていると絶賛したい。

 東京新聞によると「起動に立ち会った牧野聖修経済産業省副大臣は“賛否両論あるが、日本の将来と現実を見たとき、避けて通ることのできない一歩を踏み出せた”と語った」のだそうだ。許してやって欲しい、彼は日本語能力にちょっと欠けていて、自分がこの状況で何を言っているのかわかっていないというほかないのだ。日本の将来を考えて稼働するというのであれば、彼は現状認識すらできないということで、国会議員の資質に大いに欠けているということでもある。これまでの会見等で驚く対応をとり続けてきたのにも拘わらず、大手マスコミに守られている男なのである。野田佳彦によると彼がこの原発に留まっているので「安全」対策になっているというのだから、この国のレベルはもはや語るに落ちる現状である。