ほぼ足りてまだ欲 その先

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降参

 連合国軍に「無条件で降参しました」と宣言してからこれで67年が経った。しかし、この日をもって正式な敗戦となったわけではなくて、正式には東京湾にわざわざ持ってきた戦艦ミズリーの上で重光葵が片足を引きずりながらシルクハットを脱いで降伏文書に調印したことをもって敗戦ということになった。そして日本が完全にあの戦争から脱却したのはいくつかの国を除いた連合国との間で講和条約を結ぶところまで待たなくてはならなかったわけだ。最近は講和条約までを戦争期間だと認識するのが当たり前になりつつあるし、確かに無条件で連合国によって占領されていたのだからまだ戦争だったわけだろう。
 真珠湾攻撃は宣戦が布告されていなかったけれど、あれからアメリカが戦争状態に突入したんだから、それがアジア太平洋戦争の始まりなんだと認識するならば、実際の戦争状態は1941年12月7日(日本では8日)から1945年の8月15日までの3年8ヶ月でありながら、占領状態は1952年4月の講和条約発効までの6年半にわたっている。
 この日が話題になると必ずテレビで映し出されるのは焼け跡に立ち尽くしてラジオに聞き入っている場面でその後ろにはあの昭和天皇の「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び・・」が聞こえてくる。そして次の場面は皇居前の砂利の上に正座して涙を抑える女性の姿だ。
 テレビが家庭に普及してからというもの、毎年見せられている。当時の子どもたちは皇国少年として教育されていたから、天皇陛下のために命を捧げて戦場に行くのは栄誉だと思っていた。真剣に思っていた。だから、ただひとりになっても隊戦車地雷を抱えて道路に掘った蛸壺に入って敵の戦車が来たらその下で爆破させろといわれてその練習をしたのだ。そうすれば本土を守れると、ここまで男手がいないのだから守るのは俺たちだと。
 男手がいなくなるのは当たり前だ。どんどん南方に送り出し、送り出しさえすれば鬼畜米英に対抗できると思っていた。食料は現地でどうにかしろと。その結果その大半は飢えと病で疲弊していた。そんな戦争しかできなかった。その程度の力しかなかった。それなのにまだやれる、ここまで来たら本土決戦だと言い張った男たちは、戦争をしていたのではない、本物を使った戦争ごっこをやっていたといって良いのではないか。それは今の米国の戦争に繋がる。現場に行かない、遠隔操縦で敵に対して攻撃を加え、的確に人を殺す。あれも一種の戦争ごっこに通じる。
 原発は一旦事故が起きたら、広い範囲に放射性物質をまき散らす。厳密にいったら福島第一原発の事件によって、東北の太平洋岸から中部地方に至るまで放射性物質は拡散し、太平洋西半分の海も汚染され、今でも地下水への汚染は続いている。それでもこの国の政府はこの放射性物質による汚染は直ちに健康に影響はないと宣言したことを撤回すらせず、むしろ「ここにはしばらく人は住めない」という範囲を狭めたりしている。たかだか1年や1年半で放射性物質が雲散霧消するはずがない。多分彼らは学校でちゃんと勉強しなかったのだろう。半減期がどういう意味を持ち、それが物質によって大きく異なるということを知らないのだろう。
 それでいながらすでにその危険性を認識しながら「安全だ」ということにして必要もない原発を稼働さえしている。
 彼らは「本土決戦」するつもりなのかも知れないけれど、本土は既に壊滅状態になっている。冗談ではなくて、その結果はこれから5年10年経つと明らかになってくるだろう。
 人間は何度でも愚かなことを繰り返す。学習するということができない。「メンツ」と「儲け」にこだわって被害を受けるのはいつも自ら選択する力を持たない人間である。