ほぼ足りてまだ欲 その先

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墓参りツアー

 毎年8月の最終週末は「墓参りツアー」だと公言している。実際には墓参りは初日で終了するのだけれど、その最終目的地が山梨の鰍沢というところで、そこまで行くんだからと、毎年長野県の軽井沢に住んでいる友達のところに足を伸ばし、数日逗留してくる。
 本当はお盆にお墓に参って「はい、はい、皆さんのご恩は忘れちゃいませんぜ」と言い訳をしてくるべきなんだろうけれど、そこはそれ、その時期の移動は一番道路や鉄道が混むわけだから、10日間ほど遅らせるのである。大体、仏教徒じゃないからよくわからないのだけれど、施餓鬼で住職に描いて貰った卒塔婆もこのときにぶら下げていって墓に立ててくる。そうそう、うちの墓は寺の墓地にあるんじゃなくて、霊園にあるのでお寺に行って貰ってきただけじゃ終わらない。
 そういえば、今日のニュースで東京都が小平霊園に樹木霊園なるものを造り、そこに入りたい人を募集したんだという。そっちに移した方が良かったかもなぁ。
 連れ合いの実家はそもそも両親は山梨・鰍沢の出身で、戦争が終わってみたら跡取りになってしまっていて、墓はそのままにしてある。行ってみると、古い昔の、あたかもただ手頃な石を建てただけじゃないかと思えるような江戸期の墓石から、岳父の姉が死んだときに建てた真新しい墓石までずらずらっと並んでいる。この寺の墓地は富士川(正確にいうとこのあたりは笛吹川)を遙か下に見る急な崖に上に上にと増やしていったようで、寺の正面から入って裏山をえっちらおっちら上がって行かなくてはならないのが辛い。しかし、実を言うとそこを歩いて上がったのはほんの数回しかない。あとはあらぬ方向から裏山を上がる道があって、上まで車で上がり、くだってくる。そうなると今度は行きは良い良い、帰りは怖い。そんな道がどうしてあるのかというと、その裏山はどうやら櫻の名所のようで、その季節になると、多くの人たちが上がってきて櫻を愛でるらしい。
 その裏山にはかなり古い公営住宅のような平屋建ての、昔だったらそんなことはないけれど、今となっては小さな小さな木造の家が建っていた。10数戸は建っていたかも知れない。真夏の蝉がうるさくなく日中、ひっそりとしているのだけれど、実はガラスの引き戸が開いていて、中を窺うと、お年寄りがひとりで団扇をだるそうに動かしている様子が見えたりしていた。それが数年前に行くと、すっかり数を減らしていて、ほんの数戸を残すのみとなっていた。あんな山の上にぽつんと暮らしていたお年寄りは買い物をどうしていたのだろうか、そして皆さん、どこへ行かれてしまったのか。山の下の旧道沿いにできた老人ホームが彼らの終の棲家となったのだろうか。ひとりひとりの人生は一体全体、どんなものだったのだろうかと毎年思う。