ほぼ足りてまだ欲 その先

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足を踏む

 日頃から良く引き合いに出される例えなんで、もう聞き飽きたというくらいだけれど、足を踏んだ方はすぐに忘れてしまうけれど、踏まれた方はいつまで経ってもその踏まれたことを覚えている。何でかといったら痛いからだね。踏んだ方は痛くないもの。
 いじめた奴は辛くも、いたたまれなくも何ともないからすぐに忘れちゃうけれど、いじめられた方はもちろん辛い上に、その辛かったことを何かにつけて想い出してしまうから、後々まで何回も、何回もダメージを受けるから忘れるわけがないのだ。
 こんな簡単なことをなんでみんな気に留めておくことができないのかと思ったらそうじゃない。意図的に気に留めるということを排除する、つまり頭の中から払拭するんだな。そうじゃないとよわっちい奴だと逆に「思われる」と「思い込んでいる」んだよ。
 そんなこたぁないんでそれをいつまでも忘れずに歴史の中に明らかにしておくことが二度と同じことをやっちゃわない秘訣なんだな。
 しかし、概ねそうしたことは「汚点」として歴史から抹殺したくなるんだね。なかったことにしたくなる。それが残っていることが「自虐的」な行為だということにするわけだね。そこから話はどんどん怪しくなってくる。そんなことはなかったことにする。
 何しろ当時のそうした記録は偏った表現によるものであるし、証言者として出てきた奴は金に目が眩んで嘘を言っているんだし、少ない証言は偏っているんだとして葬り去ることになる。何しろ否定する側が偽証言を作り出してしまう位なんだから、肯定する側だって偽証言を作り出しているに違いないという類推に走るんで、何もかも無茶苦茶にしちゃえばそれで全部チャラになる。
 こうして考えると、もう戦争は終わりだ、といって一斉に書類を焼却し、捨て去り、国家の記録を消滅させた行為は確実に過去を払拭することに貢献していることがわかる。
 「足を踏まれた、踏まれたっていつまでもうるせぇんだよ。もうこれ以上謝らないからそう思え!踏まれてなんていねぇくせに!」