ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

またまたなんでそんな

 なんでそんなブログみたいなものを書き続けているのかと、概ね同年齢以上の人たちが、唇の端にちょっと見下げた風なニュアンスを含んでいう。「なんでそんなばかげたことをしているんだ」という意味である。
 「人に自分が食った飯なんて見せんなよ」「何時に起きようと良いからさぁ」と。
 私もなんで自分がこういう事を続けているのかなぁと考え込まないわけもないのだけれど、確固たる「こうだから、こうなんだ」と主張できる理由なんてものは見つかっていない。
 とってつければいくらでも理由はつく。だけれども、その発端は、「面白いかも知れない」であったし、その時発想したことを書きおくことがなんだか自分の身の回りを整理している風でもあった。それにしても、具体的で、尚かつ力強く、人を納得させる理由だったとは思えない。それはSNSでも同じで、それがただ延長線上にあって、自分が選んだ相手が対象なのか、それとも不特定多数が対象なのかの違いでしかない。
 人間はすべからく自分の考えを自分で確認しないと満足できないのかも知れない。こんな具合に書いていなくても、友達と一杯呑んだ時に、そいつが喋っているのを聞いていると概ね誰も彼もがそれまでの人生でつかんできた考えやら、信条やら、価値観やらを持っていて、それを語り出す。それも私にとっては驚くようなことだったり、違和感のあるものだったりする。それでも彼はこれまでの人生の中でそうしたものを醸成してきたのであって、それは他の誰でもない、まさにその彼こそが醸成してきたことなのだ。
 それでは、なぜ彼はそれをこのようなブログやSNS上で開陳しないのであろうか。他人にそんなことは表明することではないのだ、という彼の価値観なのだろうか。だから、この点についてはいつまで経っても平行線でしかない。これが発展すると、本にして出したいと思うようになるのだろうし、人に直接語りかけると言うことをしていきたくなるのだろう。人前で話すことが日頃の行動となっている人だったらそれも良いかもしれない。