ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

ニューヨーク・タイムズ東京支局長・マーティン・ファクラー

 日経ビジネスweb版2012年10月15日版トップに掲載されたインタビューなのだけれど、実は彼らのサイトではもう既に削除されているんだそうで、キャッシュでしか読めないとある人がツイッターで書いていた。→ キャッシュはこちら

――日本のメディアはウォッチドッグ(監視役)としての機能を果たしていると思いますか。
ファクラー:彼らはそういう機能を果たすべきだという理想を持っていると思いますが、情報源とこれほど近い関係になると実行するのはかなり難しいです。
 これは記者クラブだけの問題ではありません。もっと大きな問題です。日本の大メディアは、エリートが支配している階級の中に入っているということです。東大、慶応、早稲田出身でみんなが同じバックグラウンドと価値観を持っている。みんな官僚に同情的で、彼らの側に立ってしまうのです。
 3.11の時、この面をはっきり見たと思います。本当に監視役になっていたのなら、「フクシマは大丈夫だ」「メルトダウンはない」という記事は書かなかったのではないでしょうか。もっと厳しい記事が書けたと思います。それができなかったのは、彼らが政府と距離を保っていないからです。
 大メディアは、政府と対峙することなく、国民に対峙する報道をした。私はこの点を痛烈に批判しました。大メディアが報道していたことが間違いだとわかったのは、何カ月も経ってからです。監視役としてみるなら、日本の大メディアは落第だったと思います。でも、メディアを監視役ではなく、システムの一部としてみるなら、起こるべくして起こったことだと言えるでしょう。
――日本経済新聞に対しても批判的ですね。
ファクラー:オリンパス事件のときによくわかりました。海外メディアでは、フィナンシャル・タイムズがスクープし、ニューヨーク・タイムズとウォールストリート・ジャーナルがそれに続きました。その間、日本経済新聞は何も報道しませんでした。沈黙です。
 その後、マイケル・ウッドフォード元CEOの記事が小さく出ました。ウッドフォード氏は日本の組織文化を理解することができなかったというような記事でした。まったくクレージーです。ビジネス・ジャーナリズムとして、3.11報道と同じくらいの大きな失敗でした。チャレンジする精神がまったくありませんでした。

 多分日経はこの下りが気に入らないと社内で問題になったんじゃないだろうか。とかくあの新聞社は権威主義的だからなぁ。「少年探偵団」と揶揄されていた頃の真摯な姿は結構気に入っていたのだけれど、社内体質としては力を振り回す輩が牛耳るという伝統は廃っていないようだ。

 追記:毎日新聞の記者がtwitterでこの記事を批判している。自分はトモダチ作戦で米軍ヘリに乗って取材していながら、日本のマスコミが取材源に近すぎると批判するのはどうか、とか日本のジャーナリストの出身校は多様化している、等。森を見ずに木を見たくなる気持ちは当事者としては当然そうだろう。
 「東京新聞を褒めているのか!と驚きます。放射線影響について、あることないことを書いてきた新聞ですよ。」と書いている。悔しい気持ちはわかるけれど、残念ながら東京新聞のスタンスに立つことの出来ない(立つ気持ちがない?)毎日新聞の記者がいえることじゃない。悔しかったら本当のことを記事にしてみろといいたい。君たちは国民をミスリードしていることを懺悔するべきだ。