ほぼ足りてまだ欲 その先

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団塊の世代

 私の生年を先頭にこれに続く2年、つまり1947-1949年生まれは3年前の人口推計では664万4000人だといわれている。しかし、出生数は806万人だとも記録されていた。つまりすでに140万人ほど他界しているということになる。途中までは「ベビーブーマー世代」と呼ばれていたが、橋下徹のバックにいるらしい堺屋太一がそう呼び始めてから「団塊の世代」と呼ばれるようになった。
 この団塊の世代は実に評判が悪い。若い時は常識を無視してコンミューン思想にかぶれ、学生運動を動かし、というが、実はこれも始めたのは先行世代であって、これにあとから参入していくんだけれど、それが大量にいるから目立ってそう見えていただけじゃないかという気がしないでもない。
 老いるに及んでは「年金を奪い取っている世代」と見られていて脂ののりきった労働世代からは「収奪」の世代と見られている。しかし、これとて、支給年齢を切り上げられたりしていて、まともにガッポリもらえていたのがその直前の年齢までだということも目立たない。
 そして今やこの世代が第一線から引退をして巷に溢れて出てくるとともに、あちこちに出かけていて、現地で騒ぎを引き起こしている(らしい)。
 こちらのお寺が困っておられるということも、この世代が引退してから後のことで、明らかにこの世代が問題なのだと云われている。
 ただし、このブログを書いておられる方もこれは団塊の世代だけの問題ではなくて、歳をとるに従って噴出する傾向の典型例だといっておられる。
 なぜか、歳をとると頑固というか、自分が思い込んでいることがその通りにならないととっても我慢ができない。
 先日銀座の元文房具屋(今は高級雑貨屋)の紙売り場に通りかかると男性の店員がお爺さんのお客に謝っている。なんだろうと思ったら「この紙はお宅のお店で買ったんだよ!?それなのになんで置いてないんだよ!」と怒鳴っているのである。なぁにいってんだよ、この店に昔置いてあったけれど今は置いてない物なんて、いくらでもあるんだよとこっちは思っているけれど、そのおっさんの頭の中にあるのは「銀座のこの店にいったらなんでも手に入る、俺はこの店は昔から使ってんだ、それなのになんでないんだよ!」という気持ちなんだけれど、その先をどうして良いのか思いつかないということもあるし、店員が謝ると余計にカッと来るのだ。
 それにしてもこの世の中は自分の思いの通りにならないのはいくらでもあるんだとこれまでの長い人生にはいくらもあっただろうに、なんでわからないんだろうねぇ。
 そういう自分もあっちこっちで何かを起こしているんだろうと思うと、ぞっとする。
 皆さん、お騒がせをして実に申し訳がありませぬ。どうぞご容赦下さいませ。先に謝っておきましょう。