ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

新年

 2013年が明けて、テレビは実業団駅伝と天皇杯サッカーが終わったら別にみたいものもなく、年賀状を書き始めた。「年賀」というくらいで正月になってから書いたものだということを聴いて以来、不精者の私はホイ来たとばかりにこの説に便乗して正月が明けてから書くことにしている。
 年々年賀状が減っていき、その上、多くの友人が親と別離を迎える時期真っ最中にいるものだから、年賀状の欠礼葉書が11月に舞い込み、それは年々増えている。私宛に年賀状をくれる人はひと頃の五分の二になった。その分年賀状を書くのは楽になった。昨年まではガリ版で切っていたのだけれど、今年はパイロットのHi-tech-C書いたものをスキャナーで読み込んで葉書に印刷した。
 年賀状の宛名書きはパイロットの万年筆の太字で書くのが習慣。
 ところで突然話題は万年筆に行くのだけれど、日本のメーカーの万年筆はインクのカートリッジがそれぞれで作っていてあっちのメーカーのもの、こっちのメーカーのものはそれぞれ形が違っている。なんでこれは一緒にしなかったのだろうか。一緒にしておけば消費者はいくらでも好きなインクでもって好きな万年筆を使うことができる。これはプリンターのインクもそうだ。どう考えても消費者中心にものを考えたのではなくて、儲け中心のために消費者の使い勝手を犠牲にした商品開発ってことだ。
 SONYがつくったデジタル音楽携帯プレイヤーはAppleのパソコンには対応できない。Appleのプレイヤーはwindowsに対応している。このスタンスの違いはなんだろう?メーカーが消費者を振り回すことができた時代はもう終わっているのではないのか?日本のメーカーはその切り替えに対応できているんだろうか。いや、これは窓対林檎の問題なのだろうか?
 NHK Eテレでウィーンの楽友協会大ホールからの「New Year's Concert」の生中継を見て元旦のメニューは概ね終わる。それにしても客席の和服の女性が目立つものだ。良くあんな荷物を持って行けるものだなぁといったら「あの人達は金持ちだからビジネスクラスだからバゲッジ二つだからね」といわれて気がついた。そうか、世の中を自分の価値観だけで見ていると理解できないことがあって当たり前なんだな。