ほぼ足りてまだ欲 その先

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継続性

 この国は高度経済成長と呼ばれる時代を1960年代に作り上げ、ものの見事にあの戦後のなんもなかった見渡す限りの瓦礫の国土をあっと驚く勢いで修復した。それには金がかかった。ほぼ米国にはお世話になったけれど、その分は随分実際にお返しした。バブルなんてあぶく銭の飛び交う時代も通り過ぎて、その間に国庫にあった金は随分消耗した。なにしろ国庫から金をぼんぼん放り出したら民の竈は潤うと本気になって思っていた。実は民の竈じゃなくて、企業の竈だった。そこから滴が垂れるんだと聞かされていたけれど、垂れた滴は元の土地持ちとか、投資する金を持っていた連中に垂れたのであって、それは民全般ではもちろんなかった。
 その過程上に今のこの国がある。あの高度経済成長といって国庫から金を引き出し、バブルだといって国庫から金を引き出し、赤字国債を出しまくり、「財政投融資」だといって積み立て年金も持ち出した結果としてこの国がある。
 これをいったら多分それを実行した連中は「じゃ、こうなっているのは誰のおかげなんだ、あの瓦礫のまんまが良かったっていうのか?!」というだろう。

 しかし、壊れたまんまの年金をそのまま「百年続く年金だ」といったのは一体誰だったのか。それを意識してこの国の政治を選択したというのか。

 それならこんな政権をなんで選択したというのか、という話だろう。
 責任なんてものは民と国家の間にはないのだろうか。