ほぼ足りてまだ欲 その先

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アジア太平洋戦争

 保阪正康の話で記憶しておかなくてはならない点がある。
 あの3年8ヶ月のアジア太平洋戦争を5つの期間、26の戦闘として分析していく必要があるといっている。

  • 1941.12.08 - 1942.06:勝利期
  • 1942.06 - 1943.04:挫折
  • 1943.04 - 1943.12:崩壊
  • 1943.12 - 1945.02:解体
  • 1945.02 - 1945.08.15:降伏

 軍人の恩給というのはそもそも12年以上の従軍実績が必要だという規定になっていたという。待てよ、そんなに長いこと従軍していた人なんてそんなにたくさんいたのだろうか、職業軍人はまだしも。そのカラクリは作戦が開始されてから終結するまでには同じ期間を作戦期間中は2倍、もしくは3倍の期間として計算をしたのだというのである。しかも、戦後公務員となったものはその軍人恩給に加算されたのだそうだ。
 それでも期間の足りなかった人たちは軍人恩給欠格者連盟というものまで組織したのだそうだ。だから自治体の中には生活困窮者の女性を恩給受給者に世話したということすら行われたのだそうだ。昭和52年頃の某元高級将校は年間に800万円という多額な恩給を受け取っていたことが知られている。それでもまともに計算したらそれを超えることになってしまうのを、いくら何でもということでそれを上限としていたそうだ。当時私の月給は7万円ぐらいではなかったかと記憶している。
 私たちの国はあの戦争が終わって以降、あの戦争を全く総括していないが、あの期間中、ひとつひとつの戦闘について原価計算もされておらず経済的総括は全くされていない。
 私たちはあの戦争が終わって以降、それまで日本という国がとっていた帝国主義を終わらせてもう二度とそうした政策をとらないと決めたのではなかったのだろうか。