ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

出来レース

 同じ出来レースとはいえ、どうやってこれを乗り越えようとしているのだろうか。

 環太平洋連携協定(TPP)交渉への日本の参加問題について「一方的に全ての関税を撤廃することをあらかじめ約束することを求められるものではないことを確認する」と表明

 これまでの自民党の戦後のやり方から考えると、様々なやり方が考えられる。一つには確かに米国から要求されて押し切られちまってこっちの関税も、あっちの関税も、あの健康保険も全部取りやめになってしまったのだけれど、あの時は「一方的に」はやられない、ということにしていたわけで、確かに今回は双方で協議の結果こうなったわけで、「一方的」ではないのですね、とでも説明しそうである。
 あるいは「あらかじめ」決まっていたわけではなくて、交渉の過程で、日本からの輸出製品、主に自動車産業をどうしても日本の主要産業として確保していく過程でこうせざるを得なかったわけであります、つまり「あらかじめ」決まっていたわけではないという説明をするアベシンゾーの声が聞こえてきてしまいそうだ。
 私はアベシンゾーは参議院銀選挙が終わるまで具体的なスタンスを示さないだろうという甘い観測をしていたのだけれど、彼は思いっきり積極的に受動的なスタンス(こんなものがあるとすれば)を表明した。
 オバマ政権も自国の経済復興を約しているし、まさに日本こそが一番使いやすい隷属国であるから韓国、豪州とともに使いこなしたい相手であることは間違いがない。
 これまで多くの機会に語られているように日本はこれで米国の経済圏に完全に取り込まれることになるわけだけれど、そうはいわれない植民地とかすることになる。竹中某や浜田某が画策するような市場をすべて明け渡すわけで、これでは国家としての矜持もなにもない。この際、通貨もなにも日本円としている意味もなく、米ドルを通貨にしてしまっても良いのではないかというくらいだ。
 1979年に米国にいた時に、「そんなに米国と大して変わらない経済の中にいるのであれば、なんで米国になってしまわないんだ」という米国人の言葉に、私は「国家というのは経済のためだけに存在するのではないのだ」といった記憶があるが、今度は経済を取り込まれることでやっぱりすべてを取り込まれるということなのだということを証明していくことになるのだろう。
 すべての関税を撤廃することによって私たちには一体何が残るというのだろうか。なにも米国産の短粒米を安い値段で食べたいとは思わない。日本のコメを米国産のコメに置き換える必要が一体どこにあるのか。米国が善意を持っていざという時の食料戦争を支えてくれると思っているというのか。そんなわけがない。民間の利潤追求集団の餌食になることを自由経済市場という。これで本当に私たちの自公連立政権がこの国を自動車産業を中心とした対米輸出産業界の意向のままに米国の意のままになる国家へと変えていこうとしていることが明確になった。あたかも原発を稼働させることによってその補助金で生きていこうとしている自治体首長達のように放射能汚染の危険を冒しても金さえ入ってくればいいといっているのと瓜二つである。
 アベシンゾーの名は確実に歴史に残る。