ほぼ足りてまだ欲 その先

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訃報

 三度目に入学した大学学部の若い同級生から連絡があった。一学年下の男子学生、といっても私より一歳若いだけの後輩が亡くなったという。これだけじゃ私と彼との関係は理解されないだろう。
 私は勤め先を退職してから翌年に某大学が始めた社会人入試を受けて一年生に入学した。はなはだ宿題に追い回される一年を23名のクラスメイトとともにくぐり抜けたことを確認してから、二年目には40年前に卒業した大学の新設学部の三年編入試験があって、それを受けてそっちに転校した。最初の大学はとても気に入っていたのだけれど、私の場合はリベラル・アーツという環境の中で学ぶよりも、既に方向性が決まっていたので、すぐさま専門分野に入ろうとしたのである。
 すると、その時に学部パンフレットを担当していた先生が、翌年のパンフレットに君のプロフィールを入れよう、と仰って写真をお撮りになり、「先輩から」というようなコラムに私のことを入れた。
 翌年三年編入で入学してきた人の中にその彼がいた。彼もやっぱり私と同じように母校の法学部を(多分、私と違って優秀な成績で)卒業して企業に勤め、退職して学校に戻ってきたという。最初の学部の卒業も年齢も私より一年若く、その上、本当かどうか知らないけれど、私の写真をパンフレットで見て、これなら大丈夫だろうと志願してきたというのだ。
 私は二年間の学部を終えてから、そのまま新設された研究科に進学したが、彼は一年後に卒業するとなぜか他の大学の研究科で修士論文を書き、その後研究科の後期課程にかえってきた。私は後期過程に進学せずに学部の研究センターで先生方のお手伝いをしていた。
 彼とは同級生を交えて呑み会に参加したり、学会情報を貰って共通の関心部分について議論したりしてきた。
 私が学校との関係からすっかり足を洗ってからは時々呑み会にお誘いを戴いていたのに、ここのところ随分連絡が来ないなぁ、論文書きでお忙しいのかも知れないなぁと思っていたところに、今年になって同じ研究科の仲間から連絡を貰って、末期癌でもはや時間の問題だと聞かされて驚いた。昨年の夏過ぎにわかった時にはもはやそんな状態だったのだそうだ。
 彼は法学部出身らしく、日本に於ける移民政策の法的整備に関心を寄せていたようだった。何しろこの国は外国からやってくる人たちに対する体制を、原発の安全性を盲信するが故に疎かにしたのと同じように、受け入れないんだという表向きの姿を強調するあまり裏口から入れている労働者を依然としてないがしろにしているからだ。
 彼の冥福を祈り、これまでのおつきあいに感謝したい。

追記:彼は独身だったが、末期癌だとわかってから自分の私財を大学に留学生向け奨学金の足しにして欲しいと寄付してあるのだそうだ。彼らしい行動に頭が下がる。そういえば彼は多くの中国、韓国、台湾からの留学生に惜しみなく協力していたことを思い出す。