ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

 私が子どもの頃、つまり半世紀前にはまだこの国ではお米を自由には買えなかった。米穀通帳というものが台所に吊してあった。お米やさんが届けに来るとその通帳に書き込んだのではなかったか。
 中学2年生の時に静岡の私立中学から東京の区立中学に越境転校することになった。その時に、おふくろと私の米穀通帳を新たに分離して作り、それを転校先の住所に登録しなくてはならなかった覚えがある。
 だから、自主流通米なるものが新聞の紙面に踊った頃、何かが開放されたような気分がしたような気がするし、この国の戦後がようやく終わったような気がしたものだった。しかし、米が自由になるということが大変に裕福な国になったのだと浮かれ始めたのではないかと思う。みんなが米を大事にしていた時代が懐かしい。