ほぼ足りてまだ欲 その先

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歴史

 歴史を見るということは実はものすごく難しい。なにしろその時代を生きていた人なんてもういない時代のことを正しく捉えようとすると、資料を掘り起こすしかないわけで、そうした資料が正しいものか、あるいは何らかの意図を持って作られたものかによって理解が違ってくるからだ。
 中にはそうした資料を意図的に曲げて解釈する歴史の見方だってある。だから、時によって同じ歴史の解釈が異なることも十分ある。しかし、歴史を勉強すればするほど時の権力が如何に自らの保身の為に歴史を改竄するかという局面を知ることになる。
 例えば今の北朝鮮、つまり朝鮮民主主義人民共和国では今の指導者のおじいちゃんが革命家ということになっているけれど、彼の出生については諸説あり、戦前の日本の天皇制を手本にして絶対的君主の地位に就き、偉大なる首領様ということになっている。それはこっちから見ていると共産ソ連の後押しで作られたものだということが明らかだけれど、あの国の現在の国民にとっては真実以外の何ものでもないということになっている。
 それは天皇を神だ、といっていた戦前の日本の状況と何ら変わらない。それでも今の日本でも天皇を神だと思っている人はいるのかも知れないけれど、多くの人はそうは思っていない。そこに至るには過去の歴史を曲げて伝えることによってそれを作り出してきた。だから、歴史を正しく史実を積み重ねることによって解釈していかなくてはならないということだ。
 今度戦後70年の節目でアベシンゾーがどんな語録を作り出そうと思っているのか知らないが、どんな言い訳をしようとも、どんな理屈をひねり出そうとも、過去に日本が行った事態を正しく受け止めなくてはならない。自分が所属する組織、地域、国家がどんなに好きでも嫌いでも、何故に何を行ったのか、そしてそれが何を引き起こしたのかは正しく捉えなくてはならない。目をつぶって見たいものだけを取り上げるのであれば、それは歴史とはなり得ず、「歴史小説」とでもいうべきものとなる。
 【写真は本文とは全くなんの関係もない「烏賊シウマイ」です。】