ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

こどもの日

 わが家に残っている古いアルバムは実家を壊す時に整理したのだけれど、そこに私が生まれた当時の社宅の木造平屋の家の庭に、矢車も何もついていない細い丸太を立て、そこに翩翻と翻る(そんな大げさなものではないけれど)一匹の黒い(と思しき)鯉のぼりがセピア色になって残っている。
 認知症になる前のおふくろは、私がこの写真を見ていると必ず脇に来て、「お父さんがそれはそれは喜んでねぇ、どこからかこの鯉のぼりを買ってきたのよ」と嬉しそうにしていた。
 私には姉が二人いて、戦争が終わって私が生まれた。職場の仲間とどこかから酒を調達してきて、狭い社宅で宴会をしたそうだ。その時に若手だった身体の大きなことで有名だった「銀ちゃん」が酔った勢いで私を抱きかかえ、落としそうになって大顰蹙を買ったという話は良く聞いた。のちに仕事をするようになってその銀ちゃんは私の上司となり、私はあまりにも彼が理不尽なので喧嘩したことがある。彼は50歳そこそこで早逝した。
 オヤジの職場の人たちは何かといっては集まって宴会をした。やたらと皿を箸で鳴らし、手を叩いて放歌高吟をした。そんな中で育ったら声も大きくなろうというものだ。
 就職して初めての5月の連休は引っ越しだった。4月を横浜の工場で実習と称する教育を受けた私たちは連休直前に辞令を受け、連休中に清水の工場の独身寮に移動した。東京駅から新幹線で静岡へ出て、東海道線で草薙の次の清水へ到着すると、駅舎は昔と全く変わっていなかった。地下通路を通って出てくると、勝手知ったる駅前で、三保行きの静鉄バスに乗った。10年ぶりの三保だった。感慨無量だった。
 菖蒲湯に入らなくなってどれくらい経っただろうか。