ほぼ足りてまだ欲 その先

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経験

 あの地震津波からもう2年以上過ぎたとはちょっと考えられないくらいにあの傷痕は大きい。淡路・阪神地震は多くの火災に見舞われて実に悲惨だったけれど、こっちの地震津波の力が強烈だった。しかも生き残った人たちはあの驚異的な留まるところを知らない水の力をこれでもかこれでもかと目の前にした。それはもう本当に圧倒的な力だった。あの時人間は自然の力のものすごさに思わず震えた。人間が生意気にこうしたら押さえ込めるだろうと思っていたことなんて殆どなんの造作もなくぶちこわし、はねつけ、あざ笑うかのようにぐぅーの音も出ない力で吹っ飛ばしていった。
 あれだけの力をこの目で見た人々はさぞかしそれを見ていない人たちに比べて明らかに異なる経験をしたのだろう。私にはそれがどんなことになるのか見当もつかない。しかしながら、想像をすることはできる。これから先何が起こるか分からないという精神構造になってもおかしくはないだろう。その上目の前に広がる光景は絶望的な、どこから手をつけて良いかわからない状態だ。そうなると簡単なのは厭世観をもってしまって刹那的に生きるしかないという結論じゃないのか。
 これは絶望的な貧困状態にいる場合にもいえることだろう。解決のつきようのない経済状態にいたら、そのほとんどの人がこの場限りの快楽があったらそれに埋もれて目の前の状況を忘れてしまいたくなるだろうことは想像に難くない。
 立ち上がろう、やってみようと声をかけられたってその現状のどこが変わるというのだろうかと思ったらそうはいかないだろう。そういう状況は果たして自己責任だろうか。
 米国はとにかくそういう風潮が優先してここまで来ている。そのシステムにむかおうとしている日本という国にもひたひたとその波は打ち寄せてきているし、その波にあらがう意欲のない、いや、むしろその波に乗ってやろうと思っている政治家は掃いて捨てるほどいる。
 また話がそっちにいってしまったけれど、あの圧倒的な自然の力を目の前にしてしまった若者たちがこれからどんな人生観を持って行くのかと思うとかなり心配だ。