ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

記憶

幼い頃の記憶から。

パーコレーター

 うちの親父がコーヒーが好きだったという印象は全くないのだけれど、うちにはアルマイトで作られたパーコレーターがあった。黒い取っ手がついていて、蓋の真ん中はガラスのとんがりになっていて、中にはコーヒーの粉を入れる器が入るようになっている。水とコーヒーの粉をセットしてガス台にかけると沸いたお湯が真ん中の管を通って上にあがり、それが粉にしみ通って下に落ちる。だから、ガラスのところにブクブクしている液体が茶色になれば概ね良かろうとガスを消す。考えてみると随分と雑駁なコーヒー入れで、この種のものは牛追いのカウボーイたちも使っていたらしい様子が「ローハイド」なんかでも見ることができた。うちの親父はMJBの緑缶を良く持って帰ってきたけれど、あの時代のあのコーヒーは横流しっぽいなぁ。昭和20年代の終わりに街で売っていたのか?私は同じ「Army Green」をアメ横で買ってくる。これだったらアメ横で600円台で売っている。

MJB アーミーグリーン 900g

MJB アーミーグリーン 900g

毛糸再生

 これもまたアルマイトでできていたことを覚えている。まるでひょうたんのような格好をしているもので、その天辺に中空なパイプ状のものが横たわっている。下の丸に水を入れ、これをやっぱりガス台にかける。するとお湯が沸いて上の丸に湯気が滞留し、勢いよく細い穴から蒸気が「シュ〜ッ!」と吹き出す。この穴にほどいてくねくねの縮れ麺のようになっている毛糸をするすると通す。するとあぁ〜ら不思議!毛糸はまるで新品のようにふわふわ真っ直ぐになって出てくる。これをこっちから巻き取っていく。いやいや、これは優れものでござった。

ワッフル

 なんであんな時代にワッフルの焼き型なんかがうちにあったのか意味がわからない。そもそもワッフルなるものは一体いつ頃日本にやってきたのだろうか。今頃になってベルギーワッフルなるものがいつまで経っても行列になって売られているんだけれど、日本に入ってきたのはいつなんだろう。そういえば風月堂のゴーフルだって風月堂のオリジナルではなくて、カルロヴィ・ヴァリの方がなんぼか古いんだろうから、きっと欧州のどこかから入ってきたに相違ない。しかし、わが家のワッフルは小麦粉にふくらし粉を入れて砂糖を加えただけのホットケーキと何ら変わらなかったので子どもはあんまり興味を示さなかった。しかしながら一体誰があんなものをわが家に持ち込んだのだろうか。オヤジの趣味でもなさそうだし、となるとおふくろしか考えられない。その割に、それほど活用していたような記憶がない。