ほぼ足りてまだ欲 その先

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けじめ

 昨日は長男が学生時代から10数年にわたって支えて貰っていた人との結婚披露宴だった。披露したのは両方の親戚にだけ。既に籍は入っていて、形だけの小さな結婚式を挙げ、親戚だけで食事会をした。すべて二人がこつこつと準備してきた。少ない収入の中、つましくいろいろ探してきた会場だった。とても慎ましくて手作りで、それこそ「らしい」一日だった。
 息子は小学生の頃は楽しくて、面白いことに興味を持つ子供だった。私がどちらかといったら、「正義」を振りかざすタイプで、今のいい方からしたらうざったい親父だったので、息子は辛いことがたくさんあったのではないかと、今から考えると申し訳ない気持ちで一杯だ。
 中学に入ってから、学校へ行くことに困難があった。何がきっかけか、今でも息子はそれを言わないけれど、途中からいけなくなった。それが本人にはストレスとなっていったことは想像に難くない。幸い小学校の頃の担任の先生が気がついて下さる方で、そうした相談機関にも通ったりした。私たちもそうした機関に通った。その頃に娘は息子にかなり圧迫されていた。私には職場という逃げ場があったけれど、妻と娘には逃げ場がなかった。深夜、どうしても息子が収まらない時、私と二人で釣り具を持って出かけたりもした。そんな時は仕事も擲った。多分会社では「いい加減な奴」だと思われていただろう。しかし、家族には替えられない。どこの親でもそうだろう。それでも多分当時の職場の同僚は「家族すらうまくコントロールできない奴に仕事がコントロールできるわけがない」という価値観でしかなかっただろう。
 中学を卒業する頃にはようやく落ち着いてきて、中学は息子ひとりだけの為の卒業式をしてくれた。しかし、当時の公立中学にはひとりひとりに寄り添う余裕なんてあるわけもなかった。雰囲気は「学校に来られない生徒がひとり減って良かった」だった。
 やっぱり高校に行きたいといって、息子は北海道に行った。プライベイトの時間というものも擲って高校生たちと対峙する先生たちには誠に頭が下がった。息子が挫折しそうになると、担任の先生は自宅にまで下宿させて下さった。そんじょそこらの学校の教職員とは比べようもなかった。多くの子どもが自分を取り戻したと云っていた。
 卒業式に、私は海外に赴任中だったけれど、雪が積もる北海道に行った。職場では息子の高校の卒業式にわざわざ家族で出かける「仕事優先」にできないつかえない奴だった。
 行ってみると、息子は自分で学校からの推薦を取り付けて埼玉の私大に進学した。そこで彼女と出会った。
 いろいろ、生活の糧を探しては、自分を奮い立たせるのだけれど、その度に自分を追い込んでは自分で自分をがんじがらめにしてしまう。そんなに期待に応えようとするな、頑張らなくて良い、自分のペースでいけ、といったって、そんなこと云われたって、そうならないから苦しむのだとはわかっているけれど、やっぱり追い込んでしまう、の繰り返しだった。ようやく自分でペースがわかってきたらしくて、けじめをつける気になったというのが二人の話だった。
 これまでなんにもしてやることができなかったことを本当に申し訳なく思うと同時に、息子を支え続けてくれている彼女に本当に頭が下がる。感謝である。