ほぼ足りてまだ欲 その先

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駅伝

 あれから20年が経つ。正月二日の午前0時を期して私と中学3年生の息子の二人は横浜に向かって歩き始めた。私の横浜の実家では正月二日に家族が全員集まることになっていた。長女の家族4人、次女の家族4人、そして私の家族4人と両親で全部で14人が実家の八畳間に集まって新年を祝うという習慣だった。
 うちの親父が修繕ドックに務めていた頃は、現場の若い人たちがその八畳間に集まって必ず宴会をしていた。台所にはそのカミさん連中がいて酒の肴を作ったり、燗をつけ、おしゃべりをしていた。つまりいつでも正月は宴会になっていた。私は他の子どもたちと同じように、その宴会の酔っぱらったおっさんたちの中にいて、お酌をしていたりした。お調子者そのものだった。
 息子はもう2年以上学校に行っていなかった。その年の卒業式を前に、この頃はようやく冷静になって自分を見ることができる様になっていた頃だった。歩く途中で在籍していた中学の近くを通りかかり、どうせなら見ていくか、といったらそうだねという。門の前まで来たら勿体ないことをしたなぁとぽつりと言った。そうか、そこまで吹っ切れたかとそれだけでも、夜を徹して歩くことにして良かったなぁと思った。
 9時近く、川崎の川を越える前になって、周囲からばらばらと人が出てきたなと思ったら、後ろから騒がしい雰囲気が近づいてきて、それが箱根駅伝の固まりだった。
 横浜の実家に着く前の国道の直線が結構辛かった。ヨイショ、ヨイショと声をかけながら生麦を通り越し、東神奈川に来たときはかなり辛かった。
 箱根駅伝の日がやってきて、テレビでそれを見る度に、あの時を思い出す。あれからもう20年が経った。私もまだ体力充実していた頃だ。人生なんてあっという間だというのはこういう時にいうことなんだろうな。