ほぼ足りてまだ欲 その先

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手足の指

 娘が生まれてからもう30年を超えている。あの子がつれあいのおなかの中にいたある夜、私が職場の同僚たちと新橋で口角泡を飛ばしているというのに、つれあいは卵巣が腫れて痛くなり、たった一人でタクシーを拾って病院に駆け込んだ。
 私がやや酩酊した状態で家に帰ると、アパートの扉のカギがかかっていなくて、差し込んだカギがそのまままわった。おかしいなとおそるおそる開けると、いつもだったらとっくに暗くなっているはずの食堂の電気がついていて、そこには近所に住んでいるつれあいのおふくろが座っていた。
 廻らない呂律のままどうしたのかと聞くと、こういう訳で、医者が直ぐに来いといっているという。こりゃヤバイとタクシーを飛ばしていくと、暗い待合室を抜けて、行けといわれた。夜中の暗い病院は余り気持ちよいものではない。すると当直の医者がいて、説明をしてくれた。今すぐ手術をするというものではないけれど、晴れ上がっていてよろしくないという。
 気になるのはつれあいもさることながらおなかの中にいる胎児のことだ。手術ということになれば当然麻酔をかけるわけで、それが胎児に影響を及ぼさないとは限らないし、素人が良くわかるわけもない。その日はひとまず私は家に帰った。
 結局卵巣の腫れは引かず、摘出することになった。だから、娘が生まれた時、私が最初にいったのは「手足の指はちゃんとあるのか?」ということだったのだけれど、考えてみれば随分と気楽なものだ。物理的な問題としてだって、手足の指だけじゃなくて、いろいろなところにしょうがいが起きないかと心配してもおかしくないのに。
 その娘が元気にこの歳にまでなったのだから、医学は凄い。この子はあの時ダメになってもおかしくなかった。それなのに、こうして生きているんだから、もうそれだけでも感謝しておかしくない。社会性がないとか、真剣に考えてないんじゃないか、なんてことはどうでも良いじゃないか。元気に生きているってことだけでもう充分すぎてお釣りが来るってもんだ。