ほぼ足りてまだ欲 その先

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テンプラ

 昔は偽学生という意味で「テンプラ学生」という言葉を使っているんだと思っていた。というのはかつては大学というのはよっぽど金があるか、よっぽど頭が良くて周囲のいわゆる篤志家というスポンサーがついてくれた人が行くところで、今みたいに誰も彼も、あれもこれもいくところではなかったから、大学の学生服や、学帽をかぶっていたら、もうそれで社会は信用してくれていたからだ。だから大学生でもない奴がそうした小道具を使って周囲を煙に巻いていたのだ。
 しかし、今では金はともかく、受験技術が優れていなくたって行く大学はいくらもあるし、くだらないことをするのが学生だとでもいうような風潮があるくらいだから、むしろ大学の学生ですといったら、みんなが用心しちゃうくらいで意味は変わってくる。だから、もう使われない。
 そこから学生でもないけれど、大学の授業に潜り込んでこっそり授業を聞いてしまう奴をテンプラ学生とも称したような気がする。
 私はこれをやったことがあって、1966年に浪人をしていた時に高校の同級生が通い出していた法政大学の日本文学科の授業にくっついていったら、その教師もおかしいと思ったのか、なんと私は指されて教科書の一節を読む羽目になった記憶がある。あれは一体何の教科書だったのだろうか。
 退職して大学へ入り直して以降は他の学部の授業を平気で聴きにいったことはあるけれど、そうなってからは目立ってしまうので、事前に先生にお断りにいった。どこの大学もそうだろうけれど、他学部の授業をとることができたり、山手線沿線の他の大学とも連携をとっていて相互に聴きに行くことはできた。
 多分この言葉はもう完全に死語だろう。