ほぼ足りてまだ欲 その先

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70年

 来年になると戦争が終わってから70年ということになる。70年という時間が長いか短いかというと感想は百出ってところだろう。そのまた70年前、つまり2015年の140年前っていうと1875年ということになる。明治8年だ。

 そういえば学生の頃、つまり40数年前は煙草をマッチでつけていた。今、マッチなんて見ないなぁ。
 どうだろう70年という時間は長いだろうか、短いだろうか。
 ところで、日本人は飽きっぽい、というのは定説になっているだろうか。私は相当に日本人は飽きっぽいと思っている。しかし、それは日本人に限ったことなのではなくて、どこの国の人間も、つまり人類全体が飽きっぽいってことなんだろうか。こうなると「飽きっぽい」という言葉を定義しなけりゃならなくなっちゃうか。
 しかし、流行が廃れるのがあっという間で、商売がなり立ったと思ったらあっという間に人が来なくなって潰れちゃう、というのはけっこう見るような気がしないでもない。
 戦争が終わった時、世の中に溢れていたのは「あぁ、良かった、ホッとした」という気持ちが満ちていただろう。もちろん、負けるはずがないのに、負けちゃった悲しさ、悔しさもあったはずだけれど、空襲のおっかなさ、逃げ場のない恐怖、「気合いが足りん!」と叫び続ける乱暴者、兵隊さんのやりたい放題、それでいて自分の身内が連れて行かれちゃう悲しさなんてものは取りあえず払拭されることになった。
 気がついたら、「お国のために死ぬ」ことが無上の喜びであって名誉であって誇りである、ということになっていた。兵隊に連れて行かれることは素晴らしいことになっていて、みんなして日の丸小旗を打ち振ってばんざぁ〜いの声に送られていった。あれだって、最初の頃は農家の二男、三男が優先。当初、長男は跡取りで銃後の守りの農業を護る立場ってことで行かなくて良かった。徴兵を逃れるためによその土地に逃げちゃう奴だっていたし、上手いことやって徴兵を逃れた連中だってそこら中にいた。精神障害を装ったり、身体障害を装ったり。
 どんどん放り込みっぱなしだから、行く先で弱体化というか役に立たなくなっちゃった戦線には後から送り込むけれど、ただ送り込むだけだった。「気合い」で耐えろという精神論は大好きだった。死んでお国の役に立つというために生まれてきたんだと子どもをその気にするのは簡単だった。
 でも、やっぱり死にたくない。死なないで済んでホッとした。気がついたら一体誰が俺をこんな羽目に陥らせたんだっけ?と考えることになった。
 しかし、どうやら70年という時間を経てみたら、また気がついた。「本当に俺たちは悪いことをしたんだっけ?空襲の恐怖というのは米国が無闇矢鱈と俺たちに焼夷弾雨あられと降り注いで何十万人と殺したんだぜ!悪いのはあいつらだろ?それだのにあいつらは日本の軍人を死刑にしたんだぜ。死刑にするべきなのは米軍だろ!?」ということになったらしい。
 中国や韓国の住民を日本の天皇の軍隊が無差別に殺したっていうのか?暴虐の限りを尽くしたとでもいうのか、どこにその証拠がある?いやならこの国に来るな、無理矢理連れてきた証拠なんてどこにあるっていうんだ、好きこのんでやってきたんじゃないか、おかげで戦後独立できたじゃないか、感謝しろ。
 自分が悪いことをしたんだなんていつまで云ってンだ、誇りを持て、自信を取り戻せ、下らんことに耳を貸すな、優秀な民族なんだぞ。
 70年なんてあっという間だったなぁ。