ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

はじまり

 この違和感がどうにも払拭できない。震災から三年のこの時期、終戦からの69年。
 もういい加減あの戦争で日本が何をしたかなんていちいち自らを責めるのはもう止そうじゃないか、日本という国はこんなに優秀で、真面目なのにそれを貶めて自らを過小評価するのはよそうという声が普通に、聞こえてくる。
 日本という国が他国に何をしたのか、どの様な態度をとったのかを検証することなくそれをすべて記憶から抹殺してしまおうじゃないかという声が若者ではなくて、今脂ののりきった働き盛りの連中から目だって聞こえるようになってきた。
 しかも、かつてはそれに眉をひそめていた人たちが今、それを平気で受け止めるようになってきた。浦和レッズの今回の事件にもそれを感じる。レッズのゴール裏の赤旗が乱立する中に旭日旗が混じっていることに怪しさを感じていたのだけれど、その種の考えをまっとうだと思っている人たちはあの旗に染みついた侵略された人々の怨念を知らない。
 日本人が侵略された歴史がないからこそ、植民地になった歴史がないからこそそんなことがいえる。足を踏んだ人間はもうそんな事実を覚えていないけれど、踏まれた人間はその痛さと共に忘れることがない。
 屈辱感を与えた人間は確実にそれを忘れてしまうけれど、屈辱を与えられた方は怨念を抱えて一生を過ごす。
 世代が交代しても、あたえられた怨念を伝え続ければその怨念は続く。与えた側がその行為をすべて払拭してしまったら、一方的に恨まれているという意識を次の世代は持つだろう。
 今ここで私たちが「もう、良いだろう、いい加減にしろ」といってしまったら後は民族対民族の恨みあいとなってしまう。これが小沢昭一がいっていた気がついたら戦争になっているの始まりかも知れない。