ほぼ足りてまだ欲 その先

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人間差別

 本当は「人種差別」という言葉はあんまり意味がないんだと思う。というのはこの場合人種の定義がむちゃくちゃ大変になるということがひとつにはあって、どんなに四方八方考えを巡らしても、やればやるほど、ある国の国民についての人種というのは茫洋として来ちゃうからだ。ましてやこの世の中になってきたら下手をするとどこの国でもその国の国民像というものがどんどん似て来ちゃう結果となる。なんたって、ベルギーなんぞを見たら、外国で生まれた祖先を持つ国民が全体の半分を超えてしまっているくらいだからだ。それはあの国だけじゃなくて、EU各国はおしなべて同じような状態になっている。
 じゃ、共通とする言葉で括ればいいのかといったら、それだってそうはいかない。先週末、銀座のチェーン居酒屋で友達と呑んでいたら隣のテーブルに来たマレー系と思しきお兄ちゃんと日本人のお婆さんは普通に日本語で会話をしていたもの。
 ということはもう「人種」で差別をするということにはなんの意味も持たないということになる。じゃ、彼らは何をしているのかといったら、自分が好きになれない「人たち」を好きじゃないという理由で蔑んでいる、ということに他ならないぞ。
 つまり、これは学校である人をターゲットにしてその人を蔑めば自分は蔑まれることがなくなるという論理の「いじめ」となんの変わりもない。いじめられた人は今度は誰かをいじめることによって自分の心を埋め合わせる。本人が気がついていようがいまいが、心の奥底にそんな無意識の意識が住み着く。
 例えばアサヒ芸能や、週刊新潮週刊文春のような通俗週刊誌はそうした「人間差別」を人前であからさまにできないような状況を敢えてあからさまに書くことによって、他のターゲットを求めている人たちに迎合する。なんでか。売れるからだ。そんな記事をコンビニの片隅で立ち読みして溜飲を下げている人たちがいるわけだ。なんだ、それじゃ売れないか。