ほぼ足りてまだ欲 その先

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論文

 おかげで論文とは何か、どんなプロセスを経るべきかというような議論が一般社会に流布されるチャンスとなったような按配で、世の中何が役に立つか予測がつかない、なんていっている場合ではないかも知れない。
 残念ながら日本の大学の殆どでは入ってきた学生に対してどの様なプロセスを経て、少しでもアカデミックなものを書くのかという訓練をすることがない。だから、アフター・グラデュエイトに進もうとする学生達は卒業論文を書く段になって初めてといって良い論文に取り組むことになる。不思議なことだけれど、一体どこでどうしてこんな事になってしまったのだろう。多分旧制から新制の大学に変わったときからこの辺はおかしくなったままだったのではないだろうか。
 かつての予科ではこの辺は訓練したのだろうか。どうやって論文を書くかという本が本屋にいったらいくらでも見つかる。自分でも数冊持っていたことがある。本当は入学した一年間くらいを費やしてどの様にテーマを深め、どの様に資料を探し、どの様に考察をし、どの様にして論文を構築するのかという訓練をするべきで、本来的にはその訓練と方向性を探るために4年間を費やすべきだったのだろう。それをリベラル・アーツと呼んでいたはずだ。
 だからその点でも日本の多くの大学学部はリベラル・アーツとはおよそかけ離れたシステムで動いている。そんなものは大学に入ってくる学生は既に身につけているのだ、ということを前提として授業やカリキュラムが作られているといえば格好がよいけれど、それを無視してきたということなのだ。
 大体大学に進学することは就職への階段だったので、そんなことはどうでも良いことだった。アカデミズムに進む学生だけがそんなことに腐心していれば良かったのだから。つまり日本の大学の殆どは実務学校であって、それはちょいと程度の高い専門学校だったのだけれど、大学ということにしておかないと格好がつかなかっただけの話だ。
 そのリベラル・アーツを堪能するチャンスを自ら放り出してしまったことに今更気がついて、実に損をしたことに気づく今日この頃である。