ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

悲し

 悲しいというか、辛いというか、どう表現して良いのかわからない事態に遭遇して、かなり絶望的である。
 確かに昔から軍隊の装備や武器、戦闘機や艦船といったものに妙な好奇心を持つのが男の子達の性癖としてあったことは否めない事実で、かくいう私も小学校、中学の低学年くらいまでは雑誌「丸」を見たりしてプラモデルで戦闘機を造り、ペンで艦船の絵を描いたりしたものだ。その延長線上にアメ横中田商店があって、飯盒や、米軍流れのハバザックやらをそんなところで買った記憶もある。
 しかし、昨日の幕張のニコニコ動画のイベントのように、大の大人が旧日本陸軍の軍服やナチスの軍服を着て堂々と人前に来るだけでなく、その上安倍晋三が登った自民党街宣車の上に登って来て、東條英機の扮装で敬礼をしたら、周りにいた連中が歓声を上げるなぞ、反吐が出るようなマネをする大人はいなかったはずだ。
 確かに戦争が終わってからもうすぐ70年にもなるとあの実に唾棄すべき、身の毛もよだつイヤな時代をあたかも賛美するような行動を、いい歳をした大人が喜々として取る時代になったことを私たちは嘆かなくて良いわけがないではないか。
 それを激しく叱責するのがマスコミの役割であるはずであり、そんなことをした人間を上から引きずり下ろすのが「民主国家」を標榜する自由民主党の取るべき態度ではないのか。
 彼らは今度のことで、あの時代を賛美し、あの時代に戻ることを奨励するという驚くべき態度を取ったと理解するべきである。自由民主党と手を取り合っている公明党、しいてはそれの母体である宗教団体はこれを肯定する集団として見なしてよろしいのか。
 その上、先日はあのアドルフ・ヒットラーの誕生日を祝った日本人がいるというのにはあきれ果てた。日本人はなんでもやる自由を持っているが、やってはならないことはそれでも存在する。
 あの戦争で命を亡くした多くの日本人はこれでは死んだ甲斐がない。元の木阿弥になってしまうのでは一体何のためにあれほど大きな犠牲を、それも盲信した挙げ句の果てに払ったのか、と思うと慚愧に堪えない。