ほぼ足りてまだ欲 その先

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強制収容所

 ドイツにはあっちにもこっちにも、かつての強制収容所跡がある。そんな施設はどうなっているのだろうと思っていたら、かなりの数が跡地を残している。ベルリンからそれほど遠くないところにOranienburgという駅があってそこから徒歩約20分ほどで到着するのがSachsenhausenという街に残してあるかつての収容所。自分で足を運んで見たのはここだけだけれど、ライプツィッヒの近郊にもそれに類する施設跡がそのまま残してあることを知った。多分もっともっとほかにもあるのだろう。たまたま私が行ったのが日曜日だったせいもあるのか、とても多くのグループがベルリンからの電車に乗ってきて、駅から歩く人の列はあたかもサッカーの試合でもあるのかというほどの長さであった。これほどの人たちが今から70年も昔に稼働していた強制収容所を見に行くのにも驚かされた。
 まだいったことがないのだけれど、米国で太平洋戦争中に日本人・日系米国人が収容された強制収容所も何カ所にも及ぶ。その中のいくつかは碑文が置かれ、建物も含めて復元保存してあるところもある。カリフォルニアのLos Angelesにあるいわゆる「リトル・東京」といわれる地域に全米日系人博物館がある。その中にも当時の収容所の典型的なバラックが再現されてある。
 私たちはドイツの強制収容所のことも、アメリカでの日系米国人強制収容所のこともほとんど知らない。知っているのはほとんど研究者くらいだろう。
 ところで、日本では戦争中(こういっただけであのアジア太平洋戦争を意味するというのは実にこの間、私たちは平穏な生活を送ることができていたことを意味する)にかなりの数の強制労働現場があった。「自分で勝手に出稼ぎに来たんだ」と揶揄されるが、植民地から半ばどうしようもなくて連れてこられた人たちが過酷な条件下で働かされていたのも事実だし、多くの場合英国連邦軍の兵士、あるいは米国軍の兵士だった捕虜が鉱山や工場で働かされていたのも事実だ。しかし、多くの企業では「もうそんな資料は何も残っていない」とするし、あれから企業がM & Aで異なる企業となったからそれは知らないと口をぬぐっている。
 シベリアから中国で戦後抑留されて強制労働をさせられた元皇軍兵士の話はかなりの数の出版物が出ていて、今でも大型書店ではいくらも見つけることができる。
 しかし、日本軍の捕虜となって日本本土で働かされた連合軍捕虜の話はほとんど語られない。日本政府はここのところ10年近く毎年数人の元捕虜であった人々を招聘しているが、ほとんどのマスコミは彼らを取り上げず、多くの場合儀礼的な国会訪問、政府として彼らに陳謝はしているものの、大きく取り上げられることがなかった。それすらもう生き残りの人たちがいなくなって終わってしまう。
 実は米国や豪州に行くと、今でも当時の強制労働についての著作が著されていて、なんと捕虜文学というジャンルすら存在する。そんなことは日本ではほとんど語られることはない。その点では私たちは非常に怠慢である。
 いつまで過去にこだわるのかという主張をする人たちもいる。やられた方は未来永劫これを忘れはしない。その気持ちはどこまでも持って行く。それを意図的に忘れ去ろうとするのは卑怯というしかない。