ほぼ足りてまだ欲 その先

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恒例

 恒例の墓参り。一昨年まで一気にうちの墓と連れ合いの実家の墓を巡り、信州の友人のところへ遊びに行く(ま、実態は墓参りを遊びに絡めたというところだけれど)のだけれど、徐々に、これを一気にやっつけるのが辛くなってきたので、昨年からはわが家の墓参りは秋のお彼岸に別個に行くことにした。その連れ合いの実家の墓というのは甲州にあって、信州へ行くには丁度良い。それにしても今年は盆地の甲州の暑さは並大抵のことではなくて、じりじり照りつける日差しはもう暴力的だ。それでも富士山の頂上が顔をのぞかせていて、やってきた甲斐がある。甲斐が、といえば墓参り道具担当の連れ合いが持ってきた百円ライターが全くつかない奴で、せっかく持ってきた線香の香りを嗅ぐこともない墓参りで、ただただ墓石に水をかけるだけだったのは甲斐がなかった。墓石に刻まれた岳父の兄さんたちの享年を見ると長男は幼くして死に、次男は南方で戦死。この兄さんの嫁さんというのが今年百歳で健在。三男はシベリアへ持って行かれてそのまま帰ってこなかった。うちのつれあいの母親はこの人と結婚するはずだったそうで、相手が帰ってこなかったので、末っ子の四男であるつれあいの父親と結婚したという話である。その末っ子の岳父だって徴兵されて戦争に行っているから、下手をしたらあのうちの息子たちはあの時点で総倒れだったかもしれない。そう考えるとあの戦争でどれほどの家庭が壊されてしまったのだろう。
 物事が複雑なのは昔の田舎では良くある話だけれど、次男の嫁さんである今年百歳のおばさんとつれあいの母親とは姉妹なんであり、こっちも子だくさんだった。そんな関係だから、つれあいの親戚というのはものすごくたくさんいて、何回親戚の話を聞かされてもまったく把握できない。
 こうして話を聞くと私たちの親の代はまさにあの戦争に巻き込まれて一番振り回された世代だといっていいだろう。今になってあの戦争は周辺各国から圧力をかけられた末の決断でやむにやまれぬ苦渋の決断だったのだなんてお為ごかしな理由を付ける輩を許してなるものかと心底思う。馬鹿野郎、こっちはとんでもない目に遭っているんだと。国家存亡の危機にあって、高所から物を見て判断しろだなんて、手前が痛い目にあってねぇ奴のいう台詞に過ぎない。この観点に立ったらそんな馬鹿げた価値観の延長線上にたった「慰安婦肯定無罪論」とでもいう様な議論がいかに馬鹿げた議論なのかということがわかる。強制性の有無の問題以前に、戦場もしくは戦時下における暴力性を容認することの愚かさがいかに低次元な人間性の暴露に他ならないことがわかろうという物だ。
 一方、「みんな辛い目にあった、だから戦争なんてやっちゃいけないんだ」という表現の説得力というのには限界もある。これには「辛い目に遭う」という状況が何故になのかという点で相手にある種の肯定感を与えかねない。どんなに辛い目に遭おうとも正義のためであるという「聖戦論」の言い訳に居場所を与えてしまうからだ。
戦争という、人間の大変に尊大で愚かな行為はそれにどんな理由を付けようとも他者の存在そのものを否定するという点で既にまったくの良い訳が成り立たない。なぜ人を殺してはいけないのかという根本的な問いに、それは個々の命のいかなる理由による剥奪も、許されてはならないからだという価値観に基づいているからだという答え以外にその論拠はない。
 個々を許してしまったら、もうあとは何でも許され、核攻撃だろうが、自治体の存亡のためには放射能汚染地への理由のない帰還宣言だろうが、あとはもうずるずるになってしまう。
 「じゃ、なんで人は人を殺してはいけないんですか」という問いに答えはないのだ。それは絶対的に許されてはならないからなのだ。