ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

先代馬生

 先代の馬生が他界してから今年で32年になるんだそうだ。もうそんなに経っちゃったんだねぇ。32年前というんだから1982年になくなったことになる。9月13日になくなったというんだから、まるまる32年である。それで新宿末廣亭の9月中席昼の部は「十代目金原亭馬生三十三回忌追善興行」ということになっている。
 普通だったら末広に行くことなんてないから、先月の現馬生さんの落語会に行かなかったら、そこで前座の駒松に前売り券を売ってもらわなかったら知らなかっただろう。
 今日の高座は後ろ幕がなんともシワシワだらけの幕で、しかも「九代目金原亭馬生さん」と書いてある。おかしいなぁと思ったら、世之介が枕で「少しは皺を伸ばすが良いじゃねぇかということになるんですが、端っこの方をやってみたら、びりっといっちまったんでそれから触らないことになっております」と説明していた。
 「九代目」の一件は、先代がそれまで名乗っていた今松を真打ちになって志ん橋としたのが1948年。1949年10月に馬生を襲名した時には親父の志ん生が「おまえはねぇ、え〜九代目だよ」といったので、後ろ幕にそうなっているんだけれど、その後もうひとり馬生を名乗った人がいたのがわかったんで、今では十代目ということになっている、ということだそうだ。
 私が先代の馬生の噺を一番最初に覚えたのは高校生の時だったか、大学生になってからだったか忘れたけれど、「たがや」と「干物箱」だったと記憶している。渋い噺家だから子どもには覚えられるような話をしていなかったけれど、この辺は面白かった。
 中入り後は先代の長女、池波志乃が旦那の中尾彬と一緒に出てきて、吉原朝馬、金原亭馬の助そして十一代目の馬生と一緒に昔の噺をする。最後に中尾彬が先代馬生が書いたというエッセーを朗読した。
 このエッセーがまるで「一杯のかけ蕎麦」じゃないかというようなお話である。
 なんたって志ん生というひとは呆れるほどの呑み助で、なにしろ関東大震災の時に家から飛び出して、近所の酒屋の樽に片口を押しつけてがぶがぶ飲んだという。どうしたのかと聞いたら、もうこれで呑めなくなると思ったという。圓生と二人で戦火の満州へ慰問に行って帰れなくなったというが、それだって、向こうにいけばもうちょっとまともに酒が呑めるといってわたったというのが、真相らしい。
 先代馬生の記憶は貧乏で食い物にも事欠く生活の中、おふくろが作ってくれたそばがきがとっても旨かった、というもの。そしてどこかから手に入れてきてくれた古い湯たんぽを持って近所の蕎麦屋にお湯をもらいに行ったという話だ。今じゃ、考えられない。そこへ行くと、弟の志ん朝はどんな記憶だったんだろう。
前座:入船亭 辰のこ
金原亭馬治:十一代目馬生の弟子で、馬吉とともに来春の真打ち昇進が決まっている。
天乃家白馬:1979年十代目金原亭馬生に入門。最後の弟子。師匠死後、伯楽の弟子となる。
金原亭世之介:1976年十代目金原亭馬生に入門。師匠死後、同じように伯楽の弟子に。私が最も好きな今の落語家の一人。今日の「お菊の皿」なんぞは絶なる出来。毎年「鹿芝居」で世のチャンが何をやるのか楽しみ。
漫才:笑組(なぜか私はこの二人と遭遇することが多いのはどうしたことか)
吉原朝馬:1968年05月十代金原亭馬生に入門(今日の出演者の中で5番目の弟子)
金原亭馬好:1963年09月先代金原亭馬の助の弟子で、師匠死後十代目金原亭馬生門下(随分久しぶりに見て、時間の経過に愕然とする。)
マギー隆司:マギー系の手品。
金原亭駒三:1967年02月十代目金原亭馬生に入門。前座の時からの名前のまま。
むかし家今松:1965年01月十代目金原亭馬生に入門。(はっきりいって初めて見ました。)
ぺぺ桜井:どんどん何をいってんのか聞き逃しそうで大変状態に拍車。
金原亭馬生:十一代目馬生。1969年03月十代目金原亭馬生に入門。かなり端折りの「稽古屋」。
五街道雲助:1968年02月十代目金原亭馬生に入門。独特の語り口は完成の域に達している感あり。「堀之内」
金原亭伯楽:1961年04月十代目金原亭馬生に入門。どうしても前の名前の桂太で頭に入っちゃっている。今の名前になってもう30年以上経っている。中入りで一生懸命自分が書いた小説の宣伝にこれ相務めていた。「猫の皿」
 毎日トリを交代でつとめているんだそうで、今日のトリは二代目金原亭馬の助。「お見立て」。師匠の初代馬の助はそれはそれは若くして芸達者。末はどんなに良い噺家になるだろうと思ったけれど、1976年にわずか48歳で他界。十代目金原亭馬生の弟子となる。最後に今時珍しい「百面相」で布袋様、大黒様、分福茶釜の狸なんてところをやって見せた。先代の小さんで見たことがあるっきり。そういえば小さんの弟子の小里んがやったのを見たことがあったかもしれない。
 新宿末廣亭もかなり古くなっているなんてもんじゃないから、冷房なんぞをかけようものなら、部分的には「南極」になっちまって、寒い。その席には「ここは寒くなる」と断り書きがしてある。両脇の桟敷はそのまま。観客は爺さん婆さんばっかりで、たまにいる若いお客さんはいったい何を考えてきたんだろうと不思議になるくらい。爺婆はすぐに眠くなる。私は前から4列目の真ん中に座ったのだけれど、前三列を見ていたってこっくりこっくりしているのが何人もいる。そんな具合なら何もそんな前に座らなくても良いじゃねぇかなぁと思うんだけれど、それでも先を争って前に座るんだから気持ちは若い。