ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

ラジオ深夜便

 昨日は日頃の私にしては良く歩いた(約15,000歩)方なので、家人が寝る前に早くも眠くなってパタンと寝てしまった。明け方にふと目が覚めたので、いつも枕元に置いてある携帯ラジオのスイッチを入れたら、男の人が「英国連邦捕虜の・・」という声が聞こえてきて、寝ぼけ眼のままで耳を傾けていたら、カウラの日本人捕虜の話でもいつも出てくる永瀬隆さんの名前が出てきたので、これはと思って聞き始めた。
 語っているのは青山学院大学の名誉教授で、雨宮剛という人で、永瀬隆国際基督教大学の副学長まで務めた斎藤和明の三人で1995年から毎年8月の第一土曜日に横浜の保土ケ谷にある英連邦戦死者墓地で英連邦戦没捕虜追悼礼拝を行ってきたのだそうで、それも今年で20回となったという。
 永瀬隆さんの名前はこれまで随分聞いてきたけれど、雨宮剛さんと斉藤和明さんの名前は初めてだ。斉藤さんのお名前はたった一年であるけれど在籍した大学の先生でありながら全く認識していなかったのはいかにあの一年間が目の前のことに追いまくられる一年間だったかといっても良いかもしれない。
 雨宮さんがどんな人生を送りここに至ったかという話が今日は中心だったのだけれど、それはそれは驚く。皇国少年であった雨宮少年がどうしてこうなったのかについては人との出会いがあって、いくつも驚く場面がやってきていた。
 高校時代に出会ったフィリピン人の青年の日本軍の蛮行に対する赦しの言葉に驚いたという。彼に送った感動を表す手紙が現地の新聞に掲載されて、多くのフィリピンの人々から反応を手紙でもらって驚いたという。大学を出て社会に出てからより学ぶ必要があると、アメリカの大学に何通も手紙を出した。多くの大学が受け入れられないけれど、確実に反応をしてくれたことに驚いたという。
 貨物船の船客になって、アメリカ東部の小さなカレッジに学び、アルバイト先のリゾートレストランで知り合ったNew York Cityから遊びに来た米国人の支援を受けてコロンビア大学のTeachers Colledgeで修士をとったそうだ。2004年にこの支援者が亡くなったあと夫人からの手紙をもらってみると、この支援者は戦中に米国が犯した日本人および日系米国人に対する行いを償う意味を持っていたこと、そしてその後の雨宮さんの活動はその支援者にとってもとても誇りに思っていたことが綴られていて感動したことを熱く語っていた。
 雨宮さんのお話は明日まで続くというが、これはすでに8月に放送されたものの再放送で、これをテキストにしてアップされている方がいるのには驚いた。
http://asuhenokotoba.blogspot.jp/2014/08/blog-post_11.html
 本年も外務省が毎年実施している日本軍によって戦時捕虜となった元豪州兵の日本招聘事業による市民交流会が10月22日(水)午後1時半から 大阪経済法科学「東京麻布台セミナーハウス」(東京都港区麻布台1-11-5)2階大研修室において開催される。参加費500円。本年の来日者は4名。ほぼ全員が90歳を超えている。この事業もあと何年続けられるのか、先がない。