ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

衆議院議事録から

 昭和57年04月06日衆議院内閣委員会で日本共産党の榊利夫がこんな発言をしている。
アメリカのジャーナリストのジョン・パウエルという人の論文があります。それによりましても、情報公開法で公開された戦後のマッカーサー司令部、GHQの文書には、終戦直後にこの元七三一部隊の首脳部と米駐留軍との間に密約が交わされている、細菌戦の技術を対米提供する、700ドルだ、安いものですが、それと引きかえに戦犯にすることは免除する、こういうことにしたということがGHQの文書にあるわけであります。そのことは米国務省が日本側に伝える、そういうことも述べているわけでありますけれども、この当時のアメリカ側の通報など関係記録は外務省にあるのじゃないかと思うのですが、これは公表できるのでしょうか。」
 これに答えたのは当時の外務省北米局安全保障課長・加藤良三「外務省といたしましてその御指摘のような事実、それに関する記録というようなものがあるか、この点は承知しておりません。」つまり、そんなの知らねぇ、といっている。
 榊利夫は取り寄せて内容を見たりしないのかと質問すると、加藤は木で鼻をくくったように「外務省といたしましては、個々の小説でございますとかあるいは論文ないしは伝聞に基づく報道といったようなものにつきまして、その内容の一々を対米照会するという立場はとっておりません。」いちいちそんなものに反応したりしないんだっていっている。
 加藤良三は成蹊高-東大法-1965年入省。2001年駐米大使。2008年NPBコミッショナーに就任。3.11のごたごた、去年のボールの問題で辞任。
 ジョン・パウエルは2008年12月に死んだが、その時の共同通信はこう伝えている。

 1950年代に雑誌で朝鮮戦争での米軍の細菌戦を告発し国家反逆罪に問われたが、1961年無罪になった。1981年には多くの米政府公文書を発掘し、旧日本軍の731部隊幹部らが人体実験の「成果」と引き換えに米国の戦犯追及を免れたことを世界で初めて発表した。(共同2008/12/18 12:16)

 ところで、このジョン・パウエルの著書「MY TWENTY-FIVE YEARS IN CHINA 」は1945年に米国で出版されたものだけれど、これが渡部昇一監修として祥伝社から2008年に今更ながら出版された。出版社と監修者の名前を見たら、多分この本は歴史修正主義の人たちの愛読書なのではないかと思うだろう。しかし、これは遙か昔の出版物で、極東軍事裁判で弁護人が弁護側の証拠として申請したにもかかわらず却下されたものの一つであるらしい。放題の付け方に、ならではの意図を感じるので手にする気が失せる。上下巻で良い値段するから、地元の図書館で探してみよう。

「在支二十五年」米国人記者が見た戦前のシナと日本(上)

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